映画評「百万円と苦虫女」(2008年/日本)

2008年/日本/121分 監督・脚本:タナダユキ 撮影:安田圭 出演:蒼井優/森山未來/ピエール瀧/竹財輝之助

「百万円貯まったら出ていきます。もう誰にも迷惑かけません。これからは一人で自分の足で生きていきます」すばらしい決意表明である。私には、人様の人生においてあまり大きなことは言えない。こういう生き方があってもいいと思う。逆に憧れてしまう部分もある。私自身も、一人で自分の足で生きているとは、とうてい思えない。主人公は、おとなしく、繊細である。しかし、転んでも泣かない。痛くても泣かない。弱くなく、流されていない。3人組の汚らしい罵倒に真っ向から対抗する。「おまえら全員死ね」と豆腐を投げつけ、噛みつく。そして、きれいに言いはなつ。「やってみろ。おまえらだって名誉棄損でつかまんだよ、ブス」ここは見ていて力が入る。かわいらしい外見だけを売りにする女優とは違い、瞬発力のある感情を自然な感じでスッと出せる。がんばれ、と本気で応援してしまう。タナダユキ監督自身の脚本である。自分の心の中に入っていくような、私小説的な肌触り。これだけ悲しい気分になっているのだから、もっと泣き続けるような弱さがあってもいい気がするが、主人公は、おびえているわけでもなく、緊張しながら歯を食いしばって生きている。女性的な感性の中に、たくましい生命力を感じる。暗い導入。他人の意見に乗って、流されて、犯罪者。他人を信用できない。自分しかいない。自分に正直である。脚本はすばらしいが、撮影に難がある。画面が暗い。驚くほど暗い。自分の目がおかしくなったのかと勘違いするほど暗い。間接照明など、いくらでもなんとかなりそうなものだ。撮影は安田圭。撮影はともかく、2人の役者の演技に見応えがある。蒼井優がすばらしい。元気いい演技より、こういう等身大の演技の方が彼女の場合は魅力を感じる。普通の口調で話し、オーバーアクションでもなく、自然体の演技だ。動きが硬いような気がするが、人生の最前線を生きている緊張感が感じられて、真実味がある。あの細腕では、海の家での接客や畑仕事ができそうにない気もするが、逆に応援したくなってしまう。森山未來も、地に足のついた達者な演技だ。堂々としている。どんな役柄を与えられても期待に応える安定感がある。霧吹きを吹きかけ続ける横顔は、名シーンだ。森山が現れる前のやりとりがつらかった。この若者2人の存在感で、他の役者がかすんで見える。こういう若者がいれば日本映画に未来がある。自転車を押しながら、たどたどしい会話をするシーンがすてきだ。今まで何度も「自転車を押しながらのたどたどしい会話」を他の映画やドラマで見てきたが、これは最上級だ。なにもかもハキハキしないまま、なにかが伝わっている。目的地のない、不思議なロードムービーである。繊細でおとなしく、かわいらしい女性の旅だ。自分のことを誰も知らない町に行く。スリリングな旅だ。可能性を感じる旅だ。かき氷や桃もぎりに天性の才能があることなど、旅をしてみないことには一生気づかないだろう。人生という名の国を旅するロードムービー。よって、最後まで旅を続ける。妥協がない。「自分探しみたいなことですか」という問いに彼女はこう答える。「むしろ探したくないんです。どうやったって自分の行動で自分は生きていかなきゃいけないですから。探さなくたって嫌でもここにいますから」個人的に、この言葉は深くこの胸につき刺さった。探せる自分はすでに手に入れている。誰もいない場所へ。自分さえも消える場所へ。私も、そういう気持ちになったことがある。私には、他人だけではなく、たまに自分ともつきあいたくなくなる瞬間がある。彼女は、社会からではなく、自分から逃げている。だから引きこもるのではなく、どこかに行くのだろう。外に出ないかぎり風は流れない。いい風もこっちにやってこない。正しい選択のように思える。少なくとも私と同じ選択だ。思ったことを口にする。ここが一つの成長だ。言いはなってしまって町を去る。それもまた自然だ。次の町では、逃げ出さないで生きていけるかもしれない。彼女の成功を心の底から願ってやまない。逃げているように見えて、自分と向き合っている。結末において、向き合うことができている。正しい行為のように思う。結末において、また悲しい気分になるが、それもまた人生か。妥協がない。それでいい。まだ大丈夫。なぜか彼女に声をかけている自分がいる。彼については、まどろっこしいことをせずに「ずっといてくれ」と伝えるだけでよかったのかもしれない。しかし、同じ立場になったら自信がない。強く伝えれば、逆に逃げていってしまいそうだ。彼女はどこまで彼のことを信頼しているのか。観客も、最後の彼女の独り言で、彼に対する愛情の深さが理解できる。感情の表現が苦手な女性なのだ。なかなか難しいと思う。私自身も今まで致命的なエラーを何度もおかしているので彼のことを悪く言えない。修行が足らない者同士の共感を覚える。だからこそ、最後、私は彼を応援した。最後は追いついたのか、追いつかなかったのか。彼の挙動と、2人の位置を考えると、彼女を発見できたのは確かだ(何十回と見直した時点での感想だ)。しかし、自らの至らなさに怖れを抱いて追いかけなかったのか。あまりにもしっかりとした彼女の立ち姿を見て、入りこむ余地を感じなかったのか。それとも必死に追いすがったか。無限の可能性を秘めたラストだ。ここまで印象的なラストは作れない。役者とカメラとセリフと演出が一体となった瞬間だ。いずれにせよ、自信を持って彼女は改札に向かう。全ての観客への励ましのように。自分の進む先を示してくれるかのように。この地上には、さまざまな人々が住んでいる。駅の雑踏。たまに回りを見渡せば、彼女のように繊細で、おとなしくも、自分の足で生きている、苦虫女たちがたくさんいるような気がしてくる。彼女たちはかき氷を作るのが上手かもしれない。桃をもぐのが上手かもしれない。それぞれが自分の改札口を目指してしっかりとした足取りで前に前に進んでいる。いろいろな人がいる。私の中で、世界の見方が少し変わった。勇気づけられ、勇気づけたくなる、不思議な映画だった。