十五年ぶりくらいに東京都現代美術館に行く。建物自体はあまり変わっていない。空間自体がとても素敵だ。多田美波の展覧会を見に来た。画家としても大変優れた才能だったことも分かる。照明の作品が素晴らしかった。

「共時的星叢──時を共にした星たち 越境する芸術のまなざし」は、追憶の迷宮のような、空間構成に感銘を受けた。歴史を漂うような、文化を感じさせつつも、要所要所でシュールレアリスムの作品を置いていて、見たことのない展覧会だった。「台湾の気鋭の建築家UxUスタジオによる、複数の関係が立ち上がる空間設計」と美術館のホームページに書かれていて、「本展の空間設計は、台湾を拠点に活動する建築家、陳冠宏(CHEN Kuan-Hung チェン・クァンホン)と陳映竹(CHEN Ying-Chu チェン・インジュウ)が2013年に設立した「UxU Studio」が手がけます。反射する素材を活かし、関係そのものを生み出す構造として設計された空間により場全体がインスタレーションとなり、作品を「見る」ことにとどまらず、その関係のなかに入り込むような体験が生まれます」ともある。これは体験としても素晴らしい展覧会だった。

「MOTコレクション いつかの光を今みている」では、現代アートが多数あり興味深かった。吉田博の版画に感銘を受けた。写実的でありながら幻想的。浮世絵のような、版画のような、幕末の夢のような。1876年生まれということは明治9年。1950年に亡くなっている。初めて吉田博の存在を知る。同じ版木を使って色を変えた連作。鮮やかである。グラデーションが素晴らしい。素晴らしい色彩感覚だ。

マルタ・パン(Marta Pan)「裂けた球体 [Sphère fendue]」

水面にたたずむ真っ白な姿は静けさの中にそっと息づく。マルタ・パンの手で作られた彫刻「裂けた球体」は世界の中にぽっかりと生まれた小さな口のようである。浅い池の水面は空や木々や建物の壁を静かに映し出し、水の上に立つ白い形は光のしずくや生き物の芽生えを思わせるなめらかさを見せ、丸い表面をよく見ると深くなめらかな溝が刻まれ、完璧に閉じた丸い形の中に作られたすき間は壊すためではなく外の世界を優しく迎え入れる部屋の入り口である。吹き抜ける風や差しこむ光が内側のカーブをやさしくなぞって柔らかい影の模様を作り出す。しっかりと立つ白い重みと景色を受け止める空っぽの空間が重なり合う所で静かな形の中に動きが生まれる。見る向きを変えると切れ目は三日月の形や咲きかけの花びらのように姿を変えていく。ガラスに映る木々や石の壁や揺れる水面や見上げる空を隙間からのぞく景色と重ね合わせ、離れていた全ての物が一つの切れ目でそっとつながり合い、心地良い響きを作り出している。

水と石のプロムナード

低く水平に張り出されたコンクリートの天井下、地下1階の「水と石のプロムナード」には、静寂の刻が横たわっている。長い通路の陰影の中に、巨石と小石を精巧に積み上げた石垣の壁面がどこまでも続き、その足元には浅く澄んだ水面が鏡のように広がっている。水中に密やかに沈む平らな石の台座や、切り出されたままの生々しい肌目を残す巨石は、波立たない水に重厚な輪郭を深く映し出し、水底の石畳や頭上の木々の影と静かな反射の層を成している。頭上を覆う重厚な屋根の切れ目からは外の光がわずかに滑りこみ、ガラス越しのエスカレーターや整然とした舗装路に静かな光芒を注いでいる。鋭い幾何学と自然石の力強い質感が密やかに交わり、水鏡の揺らぎとともに静寂の回廊を形づくっている。

土屋公雄 「あの時」

静けさに包まれた展示室の中。一条の光が天井の暗がりから降る。白く切り落とされた壁面に飾られているのは、かつてどこかの家で生活の刻を刻み、やがて役割を終えて捨てられた4つの古い柱時計だ。それらは年輪を重ねた木枠の温もりや掠れた塗装をその身に宿したまま、太い麻のロープによって一列に固く束ねられ、記憶の結び目のごとく高い場所へ吊り上げられている。見上げれば、時計たちのガラス文字盤の奥で、細い針たちが永遠に固直している。ある文字盤は午前8時15分を指し、また別の文字盤は午前11時2分を指したまま止まっている。かつて日常の会話や家族の営みを見守っていたはずの振子と針は、日本の歴史に刻まれた忘れてはならない悲劇の瞬間。あの一瞬の衝動と沈黙を抱えたまま、時を止めている。時計の束から解き放たれたロープは、壁を伝ってどこまでも垂直に落ちていき、やがて温もりある木目調の床へと到達する。床の上に降り立った太く粗い麻縄の束は、大樹の根あるいは過去から現代へと伸びる無数の記憶の脈絡の形をとって、扇状にゆるやかにツタを伸ばし、先々で不規則に解け、のたうちながら広がっている。時を失った言葉なき物たちが織りなす空間は、荒々しくもどこか祈りのように清らかで、過ぎ去った過去の気配と「あの時」の痛みを、静かに、けれど逃れようのない重みをもって現代の私たちに問いかけている。