短編小説「就活浮世絵。おれの事故PR」

第一章:履歴書という名の自画像

おれの自己PR文は、鏡に映った自分を見て「これ誰?」と言うようなものだった。事故PRだ。これが、自分だろうか。はたしてこれが、自分だったのだろうか。自己とは、なんだ。PRとは、なんだ。もう、100社以上に落ちて、やり方が間違っていることに気づいた。偽物の自己PRだからだ。おれはコピーしていた残り10枚の紙を破り捨て、もう一度書くことにした。

「苦しい仕事をして面白おかしく生きたいです」

まずはこう書いてみた。人事部の机の上では、これがどう映るのか想像もつかない。だが、これが今のおれだ。大学8年の刑期。いや、青春を終えた今、社会という名の牢獄に自ら入所志願している。
「御社に就職できなくてもいいので面接させていただけませんでしょうか」
これは求職活動なのか、それとも現代アートの一環なのか。もはや自分でもわからない。さらに続けて書いてみる。

自己でも事故ではなく、大事故PR、自殺PRのような気もしたが、たとえ落ちても、うらみっこなしだ。いったんさらけ出してみよう。たとえ今回は落ちても、どこかでご縁があればいい。これがおれの真髄だ。どうせ上辺だけ装っても、ばれる。窮屈な場所に窮屈に生きていたら、大変だ。だったらありのままを書いてみよう。一度、この方向性で書いてみよう。

第二章:ハローワーク・オデッセイ

苦しい仕事をして面白おかしく生きたいです。御社に就職できなくてもいいので面接させていただけませんでしょうか。特技はございませんが、「なにかかくし芸とか、ないかい」と言われた時は、「へい、わきの下にございます」と返すようにしています。事故PRみたいですが。

先日、同志と呼べる男、同じく大学8年の刑期を終えた友人と共に、ハローワークという名の希望の砦に足を踏み入れた。Lタワー。仕事を「得るタワー」。エレベーターに吸いこまれて窮屈に収まっていく同じビルの会社員たちがまぶしい。まるで別の世界の別の生き物だ。そこは驚くほど近代的だった。150台のパソコンがずらりと並び、ディスプレイは触れるだけで拡大表示される魔法の窓。プリンターからは無数の夢と絶望が印刷される。おれたちは風俗嬢が情報誌をめくるように、指先でキャリアの可能性を探った。隣のおばさんが親切に検索方法を教えてくれた時、その目に宿る「この子たち、大丈夫かしら」という慈悲に満ちた眼差しが痛かった。エルタワーからの眺めは、まるで天国のようだった。数々の応募状を放ったおれだが、何週間経っても音沙汰なし。天国は遠い。友人は結婚相談カウンセラーの面接が決まった。皮肉なことに、恋愛経験皆無の彼が他人の結婚を相談する仕事に就こうとしている。カオスだ。

第三章:国際的酩酊パレード

グッバイ、ハローワーク。エルタワーを後にしたおれたちの足は、自然と新宿の雑踏へと向かっていた。就活という名の敗北感を洗い流すには、酒しかない。そこで選んだのが「HUB」。イギリスパブを模した、外国人と日本人が交わる不思議な空間だった。

店内は19世紀ロンドンの酒場を再現したような木の温もりと、グラスが触れ合う心地よい音が響いていた。照明は程よく暗く、誰もが少しだけ美しく見える。バーカウンターには様々な国籍の人々が肩を寄せ合い、それぞれの母国語で会話を弾ませている。

カウンターで生ビールを注文した時だった。隣に座っていたベトナム人の男が、突然おれに話しかけてきた。
「あんた、日本人?」
彼の日本語はたどたどしいが、目は酔いで輝いていた。
「ああ、そうだけど」
「おれたち、今からHUB全店回るよ。一緒に来る?」
彼の隣には、プラチナブロンドの髪をなびかせた白人女性と、台湾人と思われる男性がいた。3人とも明らかに既に相当酔っぱらっている。女性は時々クスクス笑い、台湾人の男は片手にスタンプラリーの台紙を持っていた。
「全店?」
「そう、HUB全店!24時間以内に全部回ると、2万円分の食事券がもらえるんだ!」
ベトナム人の兄ちゃんは興奮気味に説明した。彼の名前はウェイ。ホーチミン出身で、日本の大学院に留学中とのこと。白人女性はアンナ、イギリス人で英会話学校の教師。台湾人の男はチェン、IT企業でプログラマーをしているらしい。3人は偶然このHUBで知り合い、酔った勢いでスタンプラリーを思いついたという。
「おれたちはもう10店舗制覇したよ!」
とウェイは自慢げに台紙を見せた。確かに10個のスタンプが押されている。
「全部で17店舗あるから、あと7つだ!」
「一番見つけるのが難しかったのは、六本木店だったなー」
とチェンが口を挟む。
「小劇場と同じビルの中にあって、入口がわかりにくかったんだ」
アンナが笑いながら付け加えた。
「私たち、同じビルの中を30分くらいウロウロしてたのよ!」
彼らの話を聞いているうちに、おれは自分の就活の惨めさを忘れていた。大学8年も通った割には、こんな国際色豊かな冒険をしたことがなかった。
「行くぞ!次は渋谷店だ!」
ウェイが叫び、3人は立ち上がった。
「おれも行っていいか?」
思わず口から出た言葉。
「もちろん!友達は多いほど楽しいよ!」
こうしておれは、国籍も言語も背景も違う3人組の「HUB全店制覇ツアー」に加わることになった。友人も「面白そう」と言って一緒になった。
渋谷店、恵比寿店、目黒店・・・と回るうちに、おれたちの間には不思議な連帯感が生まれていた。言葉の壁など、酒が流してくれる。各店舗で一杯ずつ飲むルールだったが、それはとっくに破られていた。
「ボヘミアン・ラプソディ」が店内で流れた時、アンナが突然歌い始めた。彼女の透き通る声に、ウェイとチェンも加わる。そしておれたち日本人も。五人の歌声は店内に響き渡り、他の客たちも一緒に歌い始めた。HUBは一瞬でクイーンのライブ会場と化した。
「ママー、ジャスト・キルド・ア・マン・・・」
殺したのか、殺されたのか。店を出て次の店に向かう。山手線のホームに駆け上がり、電車を寸前で逃す。アンナが笑う。
「行っちゃいなさい!行ってしまいなさい!電車も進む。私はここにいる!世界も勝手にそのまま進んでいけばいいのよ!」
山手線の車内でも歌は続いた。肩を組みながら笑顔で歌い上げる酔った5人組の熱唱に、周りの乗客は困惑した表情を浮かべながらも、微笑ましそうに見ていた者もいた。若いサラリーマンは小さく口ずさみ、外国人観光客は携帯で撮影していた。
「おれたちは世界の中心で愛を叫んでいるんだ!」
ウェイが英語と日本語を混ぜて叫んだ。

グルグルと東京を回り、グルグルと酒を飲み、グルグルとめまいがする。池袋駅に着いた時には、すでに午前1時を回っていた。最終目的地の池袋HUBは、さらに国際色豊かだった。東南アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ・・・多種多様な人々が入り混じり、英語、中国語、フランス語、アラビア語が飛び交う。まるで国連総会のようだった。全員が知り合いだった。知り合いではないおれですら、昔ながらの友達のように彼らは接してくれた。居心地がとても良かった。
「ヤァ!ウェイ!」
店員が英語で声をかける。
「また来たの?」
「全店制覇だ!」
ウェイは誇らしげに台紙を見せた。店員は最後のスタンプを押すと、大きな拍手とともに
「おめでとう!」
と言った。店内の客たちも何事かと振り返り、状況を察すると拍手で祝福してくれた。3人組はそれぞれ2万円分の食事券を受け取った。合計6万円分。彼らは躊躇なく
「今日はおごり!」
と宣言し、店にいた全員の飲み物をおごった。

夜が更けるにつれ、会話は深くなっていった。
「日本で外国人として働くのは大変なんだ」
とチェンが語り始めた。
「技術はあっても、言葉の壁があるから評価されにくい」
アンナもうなずいた。
「私の友達は日本の会社で働いてるんだけど、外国人だからボーナスが日本人より少ないって」
金髪の美男子、アンナの友人で、途中から合流したマイクが言った。
「おれ、前はホストやってたんだ。外国人だからって理由で客に人気あったけど、給料は日本人より低かった」
「それって差別じゃないか?」
とおれ。
「差別っていうより・・・」
マイクは言葉を選びながら
「システムなんだよ。外国人は常に”ゲスト”なんだ。この国では」
この瞬間、おれは自分の就活の悩みが小さく思えた。少なくとも「外国人だから」という理由で拒絶されることはない。
「でも、だからこそおれたちは一緒に飲むんだ!」
ウェイが叫んだ。
「国境なんて、酒を飲めば消えるんだよ!」
彼の屈託のない笑顔に、みんなが笑顔で応えた。国籍も言語も文化も違う人々が、一つのテーブルを囲んで笑い合う。この光景は、おれの心に深く刻まれた。就活に悩む27歳の日本人、ベトナムからの留学生、台湾のITエンジニア、イギリス人英会話教師、そして無職の元ホスト。
「なんでこの店がHUBっていうか知ってるか?」
と左隣の髭を生やしたアイリッシュのでかい男が話しかけてきた。
「わかんない。パブと関係があるの?」
「HUBは、車輪のことだよ。昔は馬車の車輪のことをHUBといっていたらしいよ。この大きな丸いテーブルは、車輪なんだ。みんなを集めて前に進む」
と、右隣のマイクが答えた。
「ここで一つになる。みんなで次の日を回すんだ」
ウェイがみんなを見回しながらうなずきあう。そうだそうだ。そうだそうだ。回せ回せ。車輪を回せ。わあ。そんな発想はなかった。この大きな丸いテーブルがあったら、無敵じゃないか。地下ではなくて、青空の下で、たくさんの丸いテーブルを並べて、みんなで酒を飲んだら、素敵なことが起きそうだ。もしかしたら、地上のどこかには、どこかの会社には、そんなテーブルがあるのかもしれないなあ。おれの働く会社には、大きな丸いテーブルがあるといいなあ。全員がぐるぐる回っていく。悲しいこともあるが、みんな大丈夫だ。全員が知り合いで、励ましあい、笑いあう。この夜、東京の片隅で、おれたちは小さな国際連合を形成していた。

社会のレールから外れたら、そこで止まるのか?少し落ち着こう。落ち着いて、外れた場所の景色を見るといい。車両の外でもなく、ガラス越しでもない。流れてはいない。流されてもいない。その景色は、ひょっとすると、きれいではないかもしれないが、心に残る景色だ。レールから外れて、心に残る景色ばかりだ。そこから車輪を回していけばいい。レールなんか知らない。

第四章:夜の終わりと友情の形

夜も更け、店内で友人が倒れた。みんなでタクシーまで担いでいった。タクシーが出る時も手を振ってみんなが見送ってくれた。天国から去るような悲しい気持ちだった。少し涙が出た。あれからあの連中には1人も会っていない。でも、たぶんあの店の連中は、全員同じだ。その後もおれは、あの大きな丸いテーブルで、あるべき姿を体現し、小さな国際連合の一員として活動を継続し、後輩たちに伝えていっている。あの夜の続きは悲惨だった。タクシーはなぜか坂道で我々を下ろした。友人は道の真ん中で寝転び、「帰れよ」とおれを蹴り続けた。友情とはなんだろう。置いて帰ったおれ。だが凍死を心配して電話すると、すでに警官2人と談笑していた彼。
「今警官2人といるから」
この返答の意味するところはなんだろう。30分以上にわたり、警官に状況説明する羽目になった。彼の荷物はあってもバッグはない。記憶もバッグも財布も飛んでいる。
「新宿で飲んでて、気づいたら道で寝ていた」
彼のこの夜は一体なんだったんだろう。これが青春の一ページなのだろうか。

第五章:無意味の意味

大学時代、「無意味研究会」なる集団で活動していた。
「何もしてない人会議」
「無名な人講演会」
「立て看」と書いた立て看板

今思えば、あれは社会への予行演習だったのかもしれない。不条理なことばかりだ。酔って担ぎこまれた友人のバー。明け方の誰もいない新橋の道。自殺願望の女を助けに江ノ島まで行ったあの夜。27歳になった今、これからも違うものを見たい気持ちは変わらない。ボブ・ディランの曲を忌野清志郎が歌っていた。
「いろんな所へ行って、見てきたものを歌にするだけさ」
おれもそんな心意気で生きていきたい。仕事は問題なくこなせるレベルだ。何も心配していない。

終章:拒絶という名の祝福

と、ここまで書いて、ポストに入れてみた。

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。この度は、弊社の社員募集にご応募いただき、厚く御礼申し上げます。さて、選考の結果につきまして、慎重に検討いたしましたが、遺憾ながらご希望にそうことができず、今回は採用を見送らせていただく結果になりましたので、ご連絡申し上げます。ご期待にこたえられず申し訳ございませんが、あしからずご了承のほどお願い申し上げます。末筆ながら、今後のご健勝を心よりお祈り申し上げます。敬具

この一通の手紙が、おれの人生という小説の新しい章の始まりだったのかもしれない。手紙を受け取り、なぜか、手応えを感じた。その後、この事故PRをコピーしていろいろな会社に送り続けた。そして、なにかの奇跡が起きた。これで、なぜか、ある会社に採用されて、無事に就職できた。入社後に聞いたら、その会社は変な人ばかりが入社希望するから、人事の人は人格者が多いらしい。おれの場合も、人事の人がおれの事故PRを読んで、ふふっと笑って、事故PRを抜き取り、丁寧に折って自分のカバンだかに入れて、次の人に履歴書を通したらしい。で、その事故PRを友達に見せて、HUBで酒を飲みながら笑いあったらしい。それこそが大人の対応であり、人格者の正しいあり方だ。