映画評「ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け」(1986年/日本)

1986年/日本/109分 監督:山川直人 出演:三上博史/室井滋/内藤剛志/原田芳雄/細川俊之/石橋蓮司/真行寺君枝

この映画は、パルコの提供。パルコ映画といえばいいのだろうか。角川映画の中には、今見るとつまらない映画が多い。たぶん当時からつまらなかったのだろうが、のせられて見てしまったのだろう。フジテレビの映画もそんな感じだ。だが、この映画では風化した部分とそうでない部分がある。最近この映画の存在を知った。三上博史、真行寺君枝、室井滋、石橋蓮司、内藤剛志、戸浦六宏、石井章雄、神戸浩、細川俊之、日比野克彦、鮎川誠、奥村公延、三宅裕司、小倉久寛、北林谷栄、原田芳雄が出演。室井滋のミニスカート姿は必見。かわいい。監督は山川直人。私は知らない。他に「SO WHAT」、「バカヤロー!3 ヘンな奴ら」、「J・MOVIE WARS-来たことのある初めての道」、「deep forest」があるようだ。原作は高橋源一郎で、本人も1シーン出演している。キャラクターの紹介シーンが面白かった。104というキャラクターと、その友達177がよかった。渋谷の公園通りは、最初パルコ通りとして申請していたが、残念ながら許可が下りなかった。この映画から、それに似た鼻息の荒さを感じる。文化を侵略していこうとする姿勢がある。パルコ映画も公園映画になったのだろうか?パルコは映画で勝ったのか?上手いこと文化を切り取ったなと思う。切り取ったというよりも、商品を羅列しただけなのかもしれないが。普通は映画全体を商品として提出するのだろうが、この映画では映画の中に商品をちりばめている。だからその当時では流行のものにあふれて、購買意欲をそそらされるが、時代が経ってから見ると、売れ残りの商品を見るかのように、とても恥ずかしいものに見えてしまう。原宿、カート・ヴォネガット、ふしぎ大好き、優しいサヨク、など、いろいろキーワードが浮かび上がる。引用で埋め尽くされていたのが興味深い。ポストモダンを感じる。商品を並べているが、物語の最後で破壊したように思う。喫茶店の名前をスローターハウス(屠殺場)と名づけている部分も興味深い。脚本部分の抵抗、反体制を感じる。ゼルダというバンドの名前を聞いて「フィッツジェラルドの?」と答えるように、商品名から別の意味を出していこうとしているかのように感じる。それは異化作用であったり、高橋源一郎の手法でもあったりするが、脚本部分から、ブンガクがかもし出されているのではないか。映画の所々に「語りたいこと」という内容の会話がある。顔のなくなった男に、顔をのせてやるシーンは、そのメタファーだろう。小説技法を話の種にしている珍しい映画だ。ここで出している話は、ヴィトゲンシュタインのものとは種類が違うのだろう。「分からないこと」「もやもや」を分かったふりして書かないで、分からないなりにも近づいていこうとしている。太宰は「いばるな!」と言われたが、源一郎はいばっていないのだ。高橋源一郎とビリィはこの後、ゴーストバスターズに行ったのだなと思った。私達の目の前に荒野はあるのだろうか。ビリィがやってきた荒野の風景も、喫茶店の模様替えとともに消えてしまった。しかしビリィは帰っていった。目新しい景色もなければ、開拓の喜びもない。はるかにスリリングな旅の始まりだ。