
映画評「フレンチ・カンカン(復元長尺版)」(1954年/フランス)
1954年/フランス/104分 監督・製作・脚本・台詞:ジャン・ルノワール 原案:アンドレ=ポール・アントワーヌ 撮影:ミシェル・ケルベ 音楽:ジョルジュ・ヴァン=パリス 出演:ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール/エディット・ピアフ/ミシェル・ピコリ
この映画は、ラストのカンカン踊りが全てだ。ここで喜びが爆発する。このシーンはすばらしい。ベル・エポック!それは暑気払い。華やかで美しき、うるわしのパリ!ムーラン・ルージュ!2012年の夏。早稲田松竹でなぜか「フレンチ・カンカン」と「ゲームの規則」が上映された。50年前とは思えないほど、迫ってくるような熱気があり、活気がある。見ていてとても元気になった。映画製作自体も同じように、フレンチ・カンカンをプロデュースするようなものなのかもしれない。まるで劇中劇のように。なにかを作りだす喜び。そして苦悩。そして気概。劇場空間を作りだすことによって生き続けることができるような、生命力。冒頭のベリーダンスから、軽やかで騒がしい。全てが踊りつづけている。絵本のような鮮やかさ。ザワザワして揺れ動く、色彩のリズム。活気の良さ。なにかの祭り。ひたすら楽しげである。ボロ拾いの老女、ピアノ弾きのおじいさん。個性的な役者がそろっていて、とてもにぎやかだ。特に司会者役のフィリップ・クレイが印象に残った。長身で動きにキレがあり、歌に張りがある。コラ・ヴォケールが歌う「モンマルトルの丘」の歌声があまりにすばらしくて涙が出た。憂いがあり、のびやかな広がりがある。全ての歌い手、ダンサーたちに自由な気風があり、きらめきがある。規律というよりも華やかさを優先。これはお国柄なのかもしれない。フランスのいい部分がつまった映画である。カンカンを代表するかのような、プロのダンス。大画面で見ると迫力がある。大画面で見る必要がある。そして、テクニカラーである。やはり、今のカラーとは感触が違う。かわいらしくもあり、記憶に残る冴えがある。映画全体が原色のきらびやかな発色であふれかえっている。撮影している側の喜びを感じる。ただ歌って踊っているわけではなく、大部分は大人の悲哀というか舞台裏のシーンが続く。ジャン・ギャバン演じるダングラールは才能にあふれているとはいえ、資産家ではないので金がなくなれば終わりである。出資者が手を引いて、落ちぶれていく姿も描かれている。そこにアラブの王子様が現れたり、仲直りがあったりして、ゆっくりと計画が進んでいく。ざわめきや喧騒が、キラキラしている。新しいものが誕生する瞬間をもりあげていく演出がすばらしい。アラブの王子様がイスにもたれて落ちこむ姿が非常に印象に残る。夜までずっと座っているところが面白かった。絵になる美しさだった。まさに玉座に座っていて、最後にギャバンの座っているイスと同じものであるところも印象に残った。ジャン・ギャバンが渋い。全編にわたり絶好調ではなく、綱渡りである。落胆しつつも、どこか楽しげである。最後、なんとか舞台に立ってほしいと思いつつも、ニニに対してごまかしの言葉で取り繕うのではなくて、実際に自分の主義主張をたたきつける姿がかっこよかった。物作りに対する男の情熱がほとばしる。これは気分がよかった。プロの心意気である。自ら踊ることを決めたニニは、彼の言葉を通じてプロの芸人として成長している。主役を張るために必要な心意気である。最後の最後まで葛藤があり、最後にカンカンが爆発する。客席になだれこんで客をつきとばしながら激しく踊る。もっとおとなしいものだと思っていたが、とても激しい。ここは、実際のムーランルージュよりも楽しい場所のような気がする。どこまでも続いていくようなたくましさがある。なんのために踊るのかというと、観客を楽しませるため。映画についてもそれは同じだろう。なんのために撮るのか。どんな気持ちで撮っているのか。バックステージで、ジャン・ギャバンが最後に満足の笑みを浮かべる。監督自身の、制作者自身の不動の人生観がしっかりと描きだされている。最後、強大な敵に打ち勝つわけでもない。人生としての幸せからも、どこか離れている。絵空事とは違う。終わりかたにどこか手応えのある感触が残る。ニニは、金持ちとの結婚や市井の市民との結婚から身を引いて、ショービズの世界に身を投じる。大盛況があり、一瞬の夢がある。この劇場限定の、一夜だけの幸福。同時に、表裏一体となった冷たさや寂しさを感じる。楽しいだけの人生では決してないだろう。現在進行形のハッピーエンド。それは我々と同じなのである。だからこそ、最後のダンスが愛おしく、身に迫り、美しいのかもしれない。
