映画評「アッシャー家の末裔」(1928年/フランス)

1928年/フランス/63分 監督:ジャン・エプスタン 原作:エドガー・アラン・ポー 撮影:ジョルジュ・リュカス/ジャン・リュカス 美術:ピエール・ケフェル 出演:シャルル・ラミ/ジャン・ドビュクール/マルグリート・ガンス

日本語字幕なし、16ミリフィルムでの上映を見た。すでに何年も経って、フィルムには傷がついてはいるが、そのフィルムの痛み具合が逆に効果的な演出になっている。鋭いカメラワークや斬新な光線の取り入れ方。完成度の高さに驚く。さまざまな短くて印象的なカットをバンバンとたたみかけてくる。この映画を編集した人間がすごい。冒頭の、枝と人影の構図がすてきだ。前半は、崩壊の前兆を知らせるような細かいシーンが印象に残る。屋敷の生命力。光の生命力。壊れかかろうとするなにか。屋敷の廊下を歩く時の、カーテンの揺らめきが美しい。映像の魔術だ。ギターの弦が揺れる一連の映像が最もすばらしい。空気が、雰囲気が、歴史が、生命が、自然が、振動している。音が聞こえない分だけ違和感をともなって、世界のうごめきを体感できる。アッシャーが絵を描いているときのシーンも印象的だ。なにかに取りつかれたかのような、らんらんと目をきらめかせながらの圧倒的な緊張感がアップで迫っている。この目の輝きは異常だ。こういう風に撮れるセンスがすごい。肖像画のモデルとなっている女性の姿がオーバーラップされて、揺らめく。ろうそくの炎が生命力でもあり、不安定な心象風景でもある。そしてスローモーションで倒れる。妻の死を前にした時の、衝撃で目が回るような驚愕の演出がすばらしいので、アッシャーの衝撃が、本当に身に迫ってくる。森の中や川の中で棺桶を運ぶシーンとロウソクの揺らめく光が効果的にオーバーラップされて、美しくもあり、残酷でもあり、見たこともない場所に移動しているような感覚に陥る。そして、崩壊が訪れる。風に飛ばされる枯葉をカメラが追いかけていくシーンにため息が出る。アッシャーは恍惚の表情で崩壊のまっただなか。時計の振り子のアップが美しくも残酷だ。この振り子は、屋敷の心臓のようだ。明確なリズムを刻み、歴史を支配し、人間を支配していく象徴のような気がする。スローモーションで本や鎧が崩れていく。音のない崩壊。死というものも、音のしないものなのかもしれない。ロウソクやカーテンのように揺らめく人間。作りこみ、作りこみ、作りこんでいった先に見えてくる崩壊感覚。映像だけで全てを表現させる、映像だけに全精神をかけるような作り方は、その後何年か名作が作られてはいるものの、実質的には20年代で終わる。世界初の長編トーキー(音声付映画)の公開は、1927年10月。この映画は、サイレント映画の到達点の一つだ。サイレントだからこそ、カメラや役者を斬新に動かせたような気もする。その当時の最新の技術を効果的に駆使して、今見ても驚くべき映像を作り上げている。ジャン・エプスタン監督。時に映像は文学より雄弁だ。