冬の余韻と春の兆しが交錯する兼六園の夕暮れ時、日本最古の噴水が鉛色の空に向かって静かに息づいている。まだ肌を刺すような冷たさをはらんだ風が頬を撫で、その奥にかすかな土の匂いと若草の青い香りが混ざり合うことで、近づく季節の足音を鼻孔の奥で感じる。視線を落とせば、霞ヶ池から引かれた水が重力という理に従って勢いよく吹き上がり、白い飛沫が薄闇の中ではかない宝石のようにきらめいては消え、きらめいては消え、水面には幾重もの波紋が広がり続けて永遠を刻んでいるようだ。耳を澄ませば、周囲の静寂を深めるかのようにザアザアと絶え間なく響く水音が鼓膜を震わせ、庭園の鼓動そのもののように力強く、同時に哀愁を帯びたリズムで心臓の拍動と重なっていく。冷たい水飛沫が時折風に乗って唇に触れれば、鉄分を含んだような硬質な味がかすかに広がり、指先がかじかむほどの寒さの中で、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚までもが研ぎ澄まされ、古都の夕闇に溶けこんでいくこの瞬間の美しさに、魂が震える。

冬の厳しい縛めがようやく解けはじめた兼六園の夕暮れは、淡い墨絵に柔らかな金粉をまぶしたような幽玄な空気に包まれている。足元に目を落とせば、老木の根元で、長い眠りから覚めたばかりの緑の絨毯が夕陽の残照を吸いこんでしっとりと輝いている。視界を埋め尽くす苔の群れは、まだ冷たさを残す湿った土の匂いと、かすかに甘い梅の香りが混じり合った春の予感を漂わせ、踏みしめる砂利道の乾いた音の合間に、雪解け水が地下を巡るような水音が鼓膜をくすぐり、頬を撫でる風には冬の名残である鋭い冷気と、春の息吹である温もりが不思議な均衡を保って混在していて、指先で触れれば驚くほど柔らかく湿り気を帯びた苔の感触が、長い冬を耐え抜いた生命のしたたかな脈動を静かに伝えている。

兼六園は静謐な溜息をつくように夕暮れを迎えていた。鉛色の空が溶けこんだ霞ヶ池の水面は、揺らぐことのない鏡となり、対岸の冬枯れた木々や内橋亭の影を水底深くへと沈めている。名残雪を解かすような淡い光が、石灯籠「ことじ灯籠」の二股の脚を優しく撫で、苔生した岩肌には湿った土の匂いと共に、永い時を耐え忍んできた重厚な記憶が宿るようだ。松の枝を吊る雪吊りの縄は、幾何学的な直線を水面に落とし、その緊張感が、かえってあたりの静けさを際立たせている。風が止み、世界が色彩を潜めた薄暮の時間、目に見える風景は全てモノクロームの夢想の中へ還り、ただ水音だけが、季節の変わり目に揺れる心の襞に、波紋のように深く、静かに染み入ってくる。

三月初旬、冬の名残と春の予感が淡い境界線で溶け合う兼六園の夕暮れは、古い絹織物のような静寂に包まれていて、空は薄墨色から茜色へとゆっくりにじむように表情を変えつつ、地上にある全ての輪郭を優しく曖昧にしていく。足元に伸びる砂利道はかすかな湿り気を帯びて、歩を進めるたびにジャリッ、ジャリッというささやかな音が鼓膜の奥深くにまで響き渡る。過去から現在へと続く時間の堆積を踏みしめているような錯覚を覚えさせ、見上げれば数百年の歳月を耐え抜いた巨木たちが、うねるような枝ぶりで空を覆い尽くし、複雑に絡み合った枝の隙間から漏れ落ちる光はすでに熱を失い、冷たくも温かい不思議な透明感を湛えて苔むした大地へと降り注いでいる。まだ雪吊りの幾何学的な美しさが残る木々の梢には、来るべき芽吹きの季節を待ちわびる硬い蕾たちが無数に潜んでおり、それらは夕陽の最後のひと撫でを受けてかすかに艶めき、生命の爆発をじっと内側に秘めたまま沈黙を守っている。その姿にこそ、言葉にできないほどの強靭な意志が宿っているように感じられ、ふと視線を落とせば、竹を組んだ低い柵が緩やかな曲線を描いて道の果てへと続き、その先を歩く人々の背中は、黄昏の光に溶けこむ影絵のようにはかなく見えつつも確かな体温を持って存在している。彼らの語らう声は風に乗って断片的に耳に届くものの、具体的な意味を結ぶ前に大気の中へと拡散し、ただ心地よい音の波となって私の胸の内に静かに響く。冷涼な風が頬を撫でるたびに、湿り気をはらんだ土の匂いと、どこか遠くで咲き始めたばかりの梅の香りがかすかに鼻腔をくすぐり、それは過ぎ去ろうとする冬への惜別と、訪れようとする春への憧憬がないまぜになった複雑な感情を呼び起こし、ただそこにたたずんでいるだけで、自分という存在がこの広大な庭園の、ひいては悠久の自然の呼吸の一部に組みこまれていくような、恐ろしくも甘美な感覚に襲われる。霞がかった空気の向こう側で、池の水面がわずかに揺らぎ、空の移ろいを鏡のように映し出しながら、今日という一日が終わろうとするその瞬間を、木々も、苔も、石も、私自身も、全ての事象が固唾を飲んで見守っているかのような、神聖で濃密な時がここには流れている。

静寂が溶けこんだ兼六園の水面は、空を映す鏡のようだ。曇り空の柔らかな光を吸いこみ、水底深くに、もうひとつの世界を抱きとめている。松の枝葉は歳月を重ねた誇りをまとい、水面に逆さの森を描き出した。雪吊りの幾何学的な線は、冬の訪れを告げる竪琴の弦のよう。風は止み、時間さえも息をひそめる庭園。現実と幻影が溶け合う境界線で、ただ静けさだけが、凛とたたずんでいる。