
第六章「始まりの夜」
今日もカナルフロウ・ナミはいるだろうか。コンビニに入ってキョロキョロ見回すが、4人の見知らぬ若者が1人ずつ店内をさまよっているだけだった。少し寂しい気分になりながら、ムーンスター・トモヤは温かい缶コーヒーだけを手に取り、レジに向かう。レジの女性は無表情だった。
「いつもありがとう」
と声をかけた。
深夜の帳が下りた公園は、昼間の喧騒をそのまま閉じこめたかのように、なぜかざわめきに満ちていた。街灯のオレンジ色の光が、行き交う人々の影を長く伸ばし、地面に踊るように映し出す。ひんやりとした夜の空気は、若者たちの笑い声、遠くの車の走行音と混ざり合い、独特の夜の匂いを形成していた。その喧騒の中心で、今夜もパークギター・シンヤはいつもの場所で静かにたたずみ、爪弾くギターの音色は、周囲の喧騒とは隔絶された、物憂げな旋律を奏でていた。昨日と変わらず、白髪混じりの髪の毛を七三に分け、メガネをかけ、白いワイシャツに褪せた色のジャケット、スラックスを身につけていた。彼の足元には、ムーンスター・トモヤのスマホの残骸が地面と一体化してキラキラ輝いている。その音色は、夜の静けさの中に、小さな波紋のように広がっていく。不思議なことに、今夜はたくさんのギャラリーに囲まれていた。曲が終わると大きな拍手が巻き起こった。
パークギター・シンヤが、驚くムーンスター・トモヤを見つけて腕を振る。
「おーい!ムーンスター・トモヤ。元気かあ?」
「どうしたんですか?大人気じゃないですか!」
「知らねえ!そこにいろよ」
パークギター・シンヤはギャラリーには目もくれずに、ギターケースにギターを入れてかつぎ上げ、アンプを片手に、人ごみをかき分けてそばに寄ってきた。
「それより、おまえにどうしても、直接伝えたいことがあって、ここにまた来たんだ」
夜の空気に溶けこむように、その声は少しばかり熱を帯びていた。すると、2人の背後から、ふわりと湯気を立てる白いものが現れた。カナルフロウ・ナミが、コンビニの肉まんを両手に持ち、優しく差し出していた。
「ほら、温かいうちにどうぞ。ねえ?今日はすごく人がいるね。どうして?」
彼女の笑顔は、夜の公園の冷たい空気に、ほのかな温かさを添えるようだった。背中にギターケースを背負ったパークギター・シンヤは、肉まんと彼女を見るなり、ぱっと表情を明るくした。
「おお!探してたんだ!」
パークギター・シンヤは子供のように目を輝かせた。
「あの、昨日は、なんか、盛り下げるようなこと言って、悪かったなって思って。楽しい気分になると、その反動で、つい逆のこと考えちゃうんだよね。昔から、そういう癖があって」
少し照れたように、カナルフロウ・ナミが言った。ムーンスター・トモヤは、その言葉に共感するように、小さくうなずいた。
「そういうこと、ありますよね」
その声は、優しく、相手を理解しようとする温かさに満ちていた。カナルフロウ・ナミは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんね。もしよかったら、今日も一緒に演奏しない? ここじゃなくても、近くのカラオケボックスとかでもいいんだけど」
肉まんをゴクリと飲みこむと、パークギター・シンヤはカナルフロウ・ナミの提案を遮るように、興奮した口調で話しはじめた。
「そそそ、そんなことより、おれの発見を聞いてくれ。驚くなよ。あの・・・古井戸ミチルのことで、おれはどうしても気になって。あいつ、どこかで見たことあったんだよ。朝、雑誌で調べたところによると、30年前に死んでたんだ」
その目は、なにか衝撃的な事実を発見した少年のように、熱を帯びていた。
「え!」
ムーンスター・トモヤとカナルフロウ・ナミは、思わず声を上げた。夜の静けさを破る、驚きの声だった。
「ほら。見てみろ。有名なバンドのベーシストだったんだぜ。あいつ、幽霊だったんだ」
パークギター・シンヤはそう言うと、大切そうに抱えていたギターケースから年季の入った音楽雑誌を取り出して、2人に差し出した。紙は黄ばみ、角は擦り切れていたが、そこには確かに、過去の熱狂が封じこめられているようだった。
「あ!」
カナルフロウ・ナミは、雑誌に掲載された白黒写真に目を凝らし、小さく声を上げた。言われてみれば、数十年前の白黒写真と今の風貌はまるで違うけれど、醸し出す独特の雰囲気はどこか共通していた。無造作に束ねられた長髪、顎に伸びたままの無精髭、広い肩幅と長い腕。音楽雑誌の追悼記事には、オーバードーズで亡くなったと、短いながらも衝撃的な言葉が並んでいた。
その時だった。ガソガソガサ!という乾いた音を立てながら、フラフラとした足取りで、古井戸ミチルが彼らの前に現れた。
「いい匂いだなあ。・・・と、思ったら、おまえたちか。どうしたんだ?今日も来たのか?」
その声は、かすれていて、どこか疲れているようだった。突然の出現に、パークギター・シンヤは
「うわっ!・・・出た!」
と思わず叫び、一歩後ずさりした。ムーンスター・トモヤも目を丸くして、
「ゆ、幽霊?」
と、信じられないものを見るような表情でつぶやいた。しかし、古井戸ミチルは3人の反応を不思議そうに見つめ、
「ん?生きてるよ。昨日、一緒に演奏しただろ?」
と、のんびりと答えた。パークギター・シンヤは昨夜の記憶をまさぐり、
「た、たしかに、 あの重低音は、紛れもなく現実だった」
と、混乱した表情でつぶやいた。一方、カナルフロウ・ナミは、まだ信じられないといった様子で、
「ええっ!でも、Wikipediaにも、はっきりとそう書いてあるよ!」
と、スマホの画面を古井戸ミチルに突き出した。古井戸ミチルは、その画面を一瞥すると、遠い目をしながら独り言のようにつぶやいた。
「ああ。殺されたんだよ、おれ」
その声には、深い諦めと、拭いきれない悲しみがにじんでいた。
「え?やっぱり死んでるんだ!幽霊だ!」
パークギター・シンヤは、再び一歩後ずさり、完全に腰が引けていた。古井戸ミチルは静かに首を横に振った。
「いや。死んでないよ。死んでないけど、殺されたんだ」
その言葉は、矛盾しているようで、深く重い響きを持っていた。
「え?え?どういうことですか?」
カナルフロウ・ナミは首を傾げ、困惑した表情でたずねた。古井戸ミチルは、ゆっくりと口を開いた。
「バンドメンバー全員、大嫌いだったからな。解散ライブに行くのをやめたんだ。そしたら、連中、おれを死んだことにしやがった。そっちの方が、話題になって盛り上がるからな。まったく、ろくでもない奴らだ。伝説の追悼&解散ライブということになった。なぜか出演してなかったけど出演料もたくさんもらえた。不在の出演料。まあ、それ以来、さすがに世間には出づらくなっちまってな。詐欺みたいなもんだからな。細々と、印税だけは今も入っては来てるようだが」
彼はそう言うと、色褪せた音楽雑誌を広げ、
「オーバードーズって、酷い殺され方だよな。おれは酒も煙草もやらない主義なのに」
と、自嘲気味に肩を落とした。その表情には、やりきれない怒りと、諦念が入り混じっていた。ムーンスター・トモヤは恐る恐るたずねた。
「印税って・・・。もしかして、公園じゃなくて、別の場所に住んでるんですか」
「ああ」
古井戸ミチルは短く答え、夜の闇の中に浮かび上がる、海の向こうの団地を指差した。
「あの団地に住んでる」
カナルフロウ・ナミは、彼の言葉にさらに疑問を深めた。
「じゃあ、なんで、こんな寒い公園で寝泊まりしてるんですか?」
古井戸ミチルは、遠い目をしながら答えた。
「予行練習だよ。いつ、本当にそんな生活になるかわからないからな。体を慣らしておかないと」
夜の公園の冷たい風が、彼の白髪を優しく撫でていった。

その時、一台の黒塗りの大型トラックが、公園のすぐそばに停車した。助手席のドアが開き、中から降りてきたのは、隙のない黒いパンツスーツに身を包んだ、切れ長の鋭い目をした女性だった。彼女は一直線に駆け寄り、慣れた手つきで名刺を取り出し、一人ひとりに丁寧に配りはじめた。
「天晴能天気レコードの代表取締役社長、柳下と申します」
彼女の口紅は妙に赤く、夜の公園で不気味に光っていた。
「天晴能天気レコード・・・70年代からある、ちょっと変わったインディーズレーベルだな」
古井戸ミチルは受け取ったばかりの白い名刺を、いぶかしげな表情でじっと見つめた。
「はい。弊社をご存知とは、さすがです。私は2代目です。この事業を祖父から引き継ぎました。この方が、この1年ほど、酷いスランプに陥っていたのは事実です。ライブのオファーを受けても、直前になってドタキャンを繰り返し、私たちも頭を抱えていました。今回のステージも、実は、昨日の今日になって『やっぱり出ない』と言ってきたんです。それでも、私たちは諦めませんでした。彼をなんとかステージに立たせようと、こうして、演奏機材一式をトラックに積んで、待機していたんです。私たちはプロですから。ギリギリまでサポートするのが仕事です。土壇場で気が変わることも、今まで、よくありましたから」
社長は全員の顔を見ながら淀みなく説明した。
「昨日、プロじゃないって言ってませんでした? だましてたんですか?」
ムーンスター・トモヤは不審そうに目を細め、パークギター・シンヤに詰め寄った。
「プロじゃないよ。ただ、昔馴染みとバンドを組んで、好きな時に、気の向くままに演奏してただけだ」
パークギター・シンヤは涼しい顔で答えた。
「彼にとっては、いまだに遊びの延長なんです。何十年も、大学のサークルのような感覚なんでしょうね」
社長は肩をすくめて小さくため息をついてから、パークギター・シンヤをビシッと見つめた。
「お願いします。今日のステージ、契約通りに出てくれませんか?」
パークギター・シンヤは社長の鬼気迫る表情に後ずさりしながら、
「お、おう。・・・わかった」
と小さくうなずいた。
「・・・ィヨッシャァッ!」
と社長はガッツポーズ。
「でも、条件がある」
パークギター・シンヤが笑顔を浮かべながら3人を眺めた。
「おれのステージは、こいつらと一緒だ」
「え?」
とカナルフロウ・ナミが思わず声を上げた。
「当然です。昨日のあなた方の演奏、陰ながらサポートさせていただきました」
社長が強くうなずく。古井戸ミチルが眉間に皺を寄せて首を横に振る。
「おれは、もう、引退して、ちょっと今、死んでるんだ。それ、無理だな」
「あんたのベースが必要なんだ!頼むよ!」
とパークギター・シンヤが拝む。
「で? その前に、あんた、いったい何者なんだ」
古井戸ミチルはパークギター・シンヤに問い詰めたが、彼は黙ったまま、どこか遠くを見つめていた。社長が諦めたように小さくつぶやいた。
「居眠り歯槽膿郎です」
「よせよ。それは、もう、昔の名前だ。今のおれは、パークギター・シンヤだ」
パークギター・シンヤはうんざりした顔で吐き捨てた。
「ええ!この人が、あの、居眠り歯槽膿郎? ヤバイヤバイヤバイ! インディーズバンドとかじゃない。伝説の、メジャーバンドのカリスマギタリストじゃん! たしかに、去年、バンドは解散してたけど! でも! でも! 見た目、超!超!逆じゃん!」
カナルフロウ・ナミは興奮のあまり両手を大きく広げ、身振り手振りを交えながら叫んだ。
「ステージにいないロックスターなんて、こんなもんだ」
パークギター・シンヤは肩をすくめて、どこか投げやりな口調で吐き捨てた。
「さあ、行きましょう」
と、女社長は有無を言わせぬ強い声で促した。
「ど、どこへですか?」
と、ムーンスター・トモヤはまだ状況が飲みこめていない様子で、きょとんとした顔でたずねた。
「新潟ロックフェスティバル。深夜4時30分から、一番端の、オーバーザレインボーステージで」
「ええ? 今から新潟まで?」
「今は23時19分。関越自動車道、ぶっ飛ばすわよ!」
社長は自信に満ちた表情で言い切った。
「ちょっとおかしなことになってきたけど、私は歌えるならどこでもいいわ」
カナルフロウ・ナミはすでに覚悟を決めたようだった。
「無謀だぞ。おれたちは、ただの素人だ」
古井戸ミチルは眉をひそめた。
「大丈夫だ。おれは、そっち系のロックスターだから。それに、明け方のフェスの音楽なんて、どうせ誰もまともに聞いてないんだ。適当でいいんだよ」
パークギター・シンヤは笑い、ムーンスター・トモヤの肩を軽く叩いた。
「君、喜べ。おれのバンドに入ったら、もう安心だ。おれの出番はいつも深夜だ。ゴールデンタイムに呼ばれることなんて、絶対にないからな」
「別に、昼間が怖いわけじゃないんだけど」
ムーンスター・トモヤは小さくつぶやいた。
「まあ、もし、演奏ができなくなったら、弾き語りで適当に誤魔化してみるよ。でも、みんな、ステージでは、おれのそばにいてくれよ?おれたちは、同じバンドだから。おれ一人じゃ、なにもできないんだ」
パークギター・シンヤは、少し照れたように笑って、ムーンスター・トモヤの肩をもう一度叩いた。
「そして、おまえは、おれの音楽の、初めての理解者だから」
その時、パークギター・シンヤは、がっしりとした体格の男が、最新型のスマートフォンを構えているのに気づいた。スマホを指差しながら社長をにらむ。
「おい。これ、ひょっとして。・・・いつからだ?」
「昨日からです。もうYouTubeで、信じられないくらいバズってますよ。スマホ壊したり、喧嘩したり、大食いしたり、演奏したりで」
と、社長は目を丸くして言った。
「うわ。おれに黙って、そんなことを・・・」
パークギター・シンヤは驚きを隠せない。周囲のギャラリーから拍手喝采が聞こえてきた。
「特にこちらの方は、今、ネットニュースで大反響です。死んだはずのロックスターが公園で発見されたって」
「うわ。ヤバイヤバイヤバイ。バイト、ズル休みしたのがマネージャーにバレる!」
カナルフロウ・ナミは青ざめた顔でつぶやいて急いで顔を隠した。ムーンスター・トモヤはぼうっと考えた。家に帰らずに、こんな場所にいたら、両親は心配するだろうか。それとも、自分がようやく閉じた殻を破り、外の世界に足を踏み出したことを、少しは喜んでくれるだろうか。一体、この奇妙な状況をどう説明すればいいのだろうか。
「売れるためなら、なりふり構わないんだな。さすが、50年前からしぶとく生き残ってる天晴能天気レコード」
古井戸ミチルは感心したようにうなずいた。
「すでにあなたの生存は、日本中に知られてしまいました。もう、逃げも隠れもできませんよ。どうします?一緒に来てくれますか」
「しょうがねえな。もう配信されてる。ということは、ステージが始まってるってことよな?演奏が終わるまではステージに立ち続けるのが、おれの信条だ。わかったぜ」
古井戸ミチルがうなずく。
「ゥワッシャァァァッ!」
社長がさらに大きくガッツポーズを決めた。
「あっ! スターダスト・ドライバーはどうするんだ! 」
パークギター・シンヤが叫んだ。
「あいつがいると、それっぽくなるからな」
古井戸ミチルもうなずく。
「今日は仕事じゃない?」
カナルフロウ・ナミが冷静に言う。
「仕事だと、なかなか難しいですよね」
とムーンスター・トモヤ。社長は涼しい顔で言った。
「彼は必ず来ます。すでに呼んであります。後は、新潟まで向かえばいいだけです。タクシー運転手の彼にとって、これはビッグビジネスです」
それを聞いて、古井戸ミチルがぶっきらぼうな声を出す。
「おい。なんで、あいつの連絡先、知ってるんだ?・・・あいつ、ひょっとして、プロか?」
社長がにっこりと笑い、高らかに声を張り上げた。
「話せば長くなりますが、元々は弊社の所属アーティストでした。経済上の理由で個人タクシーに転職したそうです。私の祖父の運転手としても長年の付き合いがありました。ボロは着てても、心は錦。小さいながらも先代から引き継いだ天晴能天気レコードの長年にわたり蓄積されたプレイヤーデータベースの中から厳選してピックアップした、パークギター・シンヤの音色に最も似合うキーボード奏者が、あの男!」
その言葉が終わるかどうかのタイミングで、公園の入口に、一台の漆黒のタクシーが静かに滑りこんできた。
