
映画評「アメリ」(2001年/フランス)
2001年/フランス/121分 監督・脚本:ジャン=ピエール・ジュネ 製作:クローディ・オサール 脚本:ギョーム・ローラン 音楽:ヤン・ティルセン 出演:オドレイ・トトゥ/マチュー・カソヴィッツ/ドミニク・ピノン/イザベル・ナンティ
子供時代のお遊びのような、不思議で楽しい気持ち。身近な場面で、見慣れた光景を別の物に変えていく魔法。不思議な映画である。貴重な時間である。初めから終わりまで開いた口がふさがらない。この映画を作っている瞬間のジャン=ピエール・ジュネ監督は、とても楽しかったに違いない。だって見ていて楽しいから。たぶんこの映画で人生の真理とか葛藤とか、悲劇とかそういった嘘くさいテーマを語ろうと思わなかったはずだ。私もそう思う。一つ一つの小さな積み重ねと思いつきで、人生はこうも変わっていくものだ。こういうのは、見ていてとても楽しい。シュールすぎて巨大な闇に引きずり込まれるような、どこまでも沈みこんで暗黒部分の奥底にもぐりこんでいくような面白さ。日常を舞台にしつつ、どこか別の世界を見せてくれている。アメリさんの心の中のファンタジーに入りこんでいくような、不思議な魅力。こういう風に生きていたら、人生楽しいだろう。楽しいことだらけだろう。破り捨てられた証明写真のような私たちを、もう一度復元して貼りなおし、別個の価値を与えてくれる。これは芸術家の仕事だ。芸術だ。くすんだトーンでありながら原色の輝きを一部に持たせるようなおもちゃのような質感が作風と非常に合っている。1シーンごとに切り取って絵葉書にしたいくらいの完成度だ。とてもかわいらしく撮れている。この監督がこの映画の前に撮ったのが「エイリアン4」だとは信じられない。音、レンズ、カメラ、照明、構図、動き、表情、エフェクト処理。撮影前の段階で、1カットごとに撮影方式の絶対的なコンセプトが必要なはずだ。完全主義者のようなこだわりを感じる。破り捨てた証明写真を拾って復元する趣味は、なかなかいいアイデア。スクラップブックは切手収集のような見た目で趣きがある。人間に対する歪んだ愛情も感じられ、いかにもアメリが好みそうだ。スクラップブックにたくさん登場する謎の人物の正体も新鮮な驚きがあった。アメリはふとしたきっかけで他者に対して関心を示すようになるが、そのアプローチは盗んだり、不法侵入したり、どこかいびつだ。ちゃんと人に会って渡したり、自分の意思を伝えたりするのではなく、電話を使ったり手紙を送ったりする。最後にようやく人に向き合うが、そのプロセスが面白い。純真な心から発せられているので応援したいのだが、感情を表現する仕方が不器用なせいで、愛情の進む先は、実に不可解。たどたどしさがかわいい。彼女の不完全なコミュニケーションが、ちょっとした奇跡になり、人々を励ましている点も面白い。ドワーフの家出や40年後の手紙など、発想が斬新だ。アメリ自身も最後に老人に勇気づけられる。老人との交流の描きかたもすばらしい。ルノアールを使ったコミュニケーションが、いかにもアメリらしい。病気を患う老人にとっての限界もよく理解できるし、アメリ自身の自分を表現できないもどかしさも感じる。2人が、そのまま自分の思ったことをストレートに表現しないぶん、深みがある。メタファーの上手な使いこなしは、オシャレだ。フランス映画の魅力の一つだ。映画の中では両親の好きなことや嫌いなことなど、話と関係ない様々な説明をナレーションしているが、アメリが盲目の老人を一瞬だけエスコートしたシーンに似ている。あの老人は、観客である。自分の感性や観念に閉じ込められた物の見方も、想像力を使えばこんなにも豊かな世界に出会える。観客を楽しい世界に導くような、寄りそいながら一緒に歩いているような感覚。映画そのものがアメリである。「すべてが完璧。柔らかな日の光。空気の香り。街のざわめき。人生は何とシンプルで優しいことだろう」ずっと大事にしまっていた思い出がよみがえり、勇気づけられ、外に出かけてみたくなる。ちょっとした奇跡である。
