
映画評「バッド・ルーテナント」(2009年/アメリカ)
2009年/アメリカ/122分 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク 脚本:ウィリアム・フィンケルスタイン 出演:ニコラス・ケイジ/エヴァ・メンデス/ヴァル・キルマー/アルヴィン・“イグジビット”・ジョイナー
一見の価値あり。ヴェルナー・ヘルツォーク監督の久々の大作。映画に人生をのめりこませてしまった男の強烈なこだわりと情熱は、過去の作品にもひけをとらない。122分という上映時間があっという間だった。私が調べた時、東京での上映は恵比寿と吉祥寺の2軒。私が見た吉祥寺での回は、20人に満たない観客。映画自体の出来を考えると信じがたい。ナイスキャスト。たとえばトム・クルーズやブラット・ピットが悪徳刑事を演じた場合、正義か悪か、はっきりと色が別れるはず。腰痛で身体を傾きつづけたニコラス・ケイジが演じた結果、境界線が崩れ、ストーリーも崩れ、すばらしく個性的な作品ができあがった。「赤ちゃん泥棒」でも感じたが、現状に途方にくれたような、そしてその流れを楽しんでいるかのような表情は、すばらしい。不条理劇で最大の効果を発揮する役者だ。ストーリーについては、勢いだけでつき進んでいく。内面的には成長をしないが、なにかの幸運をつかみつつ生き残り、出世をしていく虚無主義あふれる作風。成長物語でもなければ転落劇でもない。神によって救われもしない。主人公は、汚職も肯定。賭博も肯定。売春も肯定。薬は手放しで全肯定。ラリって死体遺棄をスルーする痛快ジャンキー。破滅へ一直線のように見えて、人命を救助し、部下の殺人を止めるなど、なにかギリギリの線で踏みとどまっている。その後も生き続けていくようなたくましさを感じる。麻薬捜査官ではなく殺人を扱うプレッシャーのかかる仕事であり、薬への依存症も腰のケガの治療がきっかけ、と、ギリギリの線で納得もできる。迫真の演技が設定を上回り、本物に見える。しぶとさと強さがある。最後は、なぜかハッピーエンドに感じた。それにしても映像が素晴らしい。イグアナがアップになったシーンが目に焼きついて離れない。手持ちカメラの臨場感、話の流れに合わせた構図、美しいシーン。画面の背後で荒々しい鼻息を感じる。カメラワークのみに注目するだけでご飯が何杯も食べられる。一番すばらしかったのは、美しくも静かなラストシーン。このシーンは、いつになっても忘れることができない。なんとも言い難い暖かい、ミルクを深夜にゆっくり飲みこんだ時のような、身体に染みいる滋味深さは、独特の後味だった。