
通信会社はAI時代をどう生き残るか
通信業界はなぜ成長構造を作れなかったのか
楽天シンフォニーのCMOである Geoff Hollingworth氏は「From connectivity to new revenue: Designing telecom businesses for the AI era」と題した記事を発表しました。その内容をもとに、通信業界が直面している構造課題と、AI時代における新たな収益モデルへの転換について解説していきます。
通信事業者は自らの未来設計を外部ベンダーや標準化サイクルに委ねてきたという構造的問題がありました。その結果、実行スピードは遅くなりコストは上昇し組織そのものが変化に適応しづらい構造になってしまいました。3Gから4G、4Gから5Gへと世代は進化し、通信速度やカバレッジ、スペクトル効率は飛躍的に向上しました。しかし、構造的な売上成長につながったかというと、必ずしもそうではありませんでした。通信はより良い接続を提供しましたが、接続を活用して成長したのは主にアプリ企業やOTT企業でした。
データはサービスではなく能力だった
通信の歴史は音声から始まり、メッセージングへと拡張し、最終的にデータ通信が主役になりました。しかしデータは従来型の完成されたサービスではありませんでした。それは他者がサービスを構築するための基盤能力でした。従量課金モデルから大容量プラン、使い放題へと進化する中で、モバイルアプリ市場は爆発的に拡大しました。データは不可欠な存在となりましたが、通信事業者の収益構造そのものは大きく変わりませんでした。Hollingworth氏はコネクティビティを第一段階、プログラマビリティを第二段階、その上に構築される収益化を第三段階と整理します。接続性だけでは構造的成長は生まれません。設計思想の転換が必要だという主張です。
ARPUからLTVへという転換
ここで重要になるのが、ARPU中心の発想からLTV中心の発想への転換です。楽天グループは70以上の事業を展開し、世界で20億を超える会員基盤を持つ企業グループです。単一IDでサービスを横断し、ポイントを軸にロイヤルティを高め、データでパーソナライズを実現するエコシステムを構築しています。楽天モバイルの利用者は単なる回線契約者ではなく会員顧客として設計されています。その結果、モバイル利用者がグループ内サービスをより多く利用し、エコシステム全体の顧客生涯価値が向上する構造が生まれています。ネットワークはSIM販売のための装置ではなく、グループ全体の価値を高めるプラットフォームとして機能しているのです。
単一ビジネス前提のネットワークからの脱却
多くの通信事業者は世代移行を変革の単位とします。しかしビジネスは標準化サイクルの速度では動きません。新しい収益機会はソフトウェアのスピードで出現します。ドローン交通管理、フィンテックID基盤、スマート物流、企業向けプライベートネットワーク、ロイヤルティプログラムなどは、それぞれ異なるネットワーク要件を持っています。ベストエフォート型データ販売を前提に設計されたネットワークでは、こうした複数の収益エンジンを同時に支えることは難しくなります。最初から複数ビジネスを支える前提で設計されたネットワークこそが、新たな収益創出の土台になるというのが本稿のメッセージです。
AIは目的ではない
AIは重要なテーマですが、目的そのものではありません。AIは成果を加速させる手段です。ログ解析の高速化、障害原因特定の短縮、店舗立地の最適化、セルサイトレジリエンスの強化、QA工程の効率化といった具体的な成果が示されています。重要なのは、AIがプログラマブルなアーキテクチャに統合されているかどうかです。設計思想の中に組み込まれたAIは新サービス創出を加速しますが、レガシー構造の上に後付けされたAIは部分最適にとどまります。
技術ではなく主導権の問題
結論として強調されているのは、通信業界に技術が不足しているわけではないという点です。不足しているのはアーキテクチャの主導権です。従来型の通信組織は調達最適化やハードウェア中心の長期サイクルに最適化されています。しかし新たな収益創出には、プロダクト思考、短い反復サイクル、データ駆動型の実験文化が必要です。ネットワークをプラットフォームとして再設計できるかどうか。通信がデジタルサービスを運ぶ存在にとどまるのか、それとも自らがデジタルプレイヤーへ進化するのか。AI時代の分岐点はそこにあると言えるでしょう。

私見と考察:技術論ではなく、経営哲学
「ベンダーに未来を外注した」という診断の正確さ
Hollingworth氏はテレコムが自らの未来のコントロールをベンダーに委ねてしまったと論じています。この診断は、産業構造を見れば反論の余地がほとんどありません。テレコム業界の調達モデルは、長年にわたって「仕様書を書いてベンダーに出す」という形式を取ってきました。ここには深刻な逆説が潜んでいます。仕様書を書けるということは、何が欲しいかを知っているということです。しかし、本当にイノベーティブなものは、まだ言語化できていないものの中にあります。つまり、仕様書ドリブンの調達は、構造的に「既知の範囲内での最適化」しか生み出せないのです。これはテレコムに限った話ではありません。大企業が外部ベンダーへの依存を深めるにつれて、内部の設計能力が空洞化していくという現象は製造業でも金融でも観察されます。しかしテレコムにおいて特に致命的なのは、ネットワーク自体が事業の核心であるからです。核心を外注した組織は、中長期的に自律的な意思決定力を失います。
ベンダーとの関係を調達先から共同設計者に変えるためには、まず発注側が設計思想を持たなければなりません。設計思想のない者に共同設計者は育てられない。これは鶏と卵の問題に見えて、実は出発点は明確です。社内にアーキテクチャを所有するという意志を持つ人材を育てることが先決です。
主語の喪失がもたらす長期的コスト
もう一つ考えさせられるのは、ベンダー依存が進むほど、なぜこうなっているのか誰も知らない、という状況が拡大するという点です。システムの複雑性が増すにつれて、原因究明に要するコストが指数的に増大します。楽天がAIログ解析でRCAを80%高速化できたのは、AIの力だけではないと私は見ています。自分たちがシステムを設計し、所有しているからこそ、AIに食わせるべきデータの意味が分かる。外注されたシステムでは、そのコンテキストごと失われてしまうのです。誰も分からないシステムのメンテナンスコストは、見積もりの段階から二重三重に膨らむ構造になっています。Hollingworth氏がOPEXの削減を強調するのは、単なる効率化論ではなく、主語を取り戻すことで生まれる副産物として理解すべきでしょう。
接続性はトロイの木馬だった、という逆説
「データ(接続性)はサービスではなく、他者がサービスを作るためのケイパビリティだった」というHollingworth氏の指摘は、後知恵としては明快ですが、当時それが見えていた人はほとんどいなかったはずです。2000年代初頭、テレコム各社は3Gの立ち上げに巨額を投じ「モバイルインターネット」の覇権を競いました。しかしその後に起きたことを振り返ると、勝者はAppleとGoogleであり、テレコムは「土管(パイプ)」と揶揄されるようになりました。これは単純な競争敗北ではなく、戦場の定義そのものを間違えた結果だと思います。テレコムが戦っていたのはスペクトル効率とカバレッジ面積でした。一方、Appleが戦っていたのはユーザーエクスペリエンスの設計権でした。使い放題プランの登場によって、接続性の価格は限りなくゼロに近づく方向へ収束しました。コモディティ化した市場で戦い続けることの虚しさを、この一点が凝縮して示しています。
使い放題プランは何を終わらせたか
個人的に最も鋭いと感じた指摘の一つが「使い放題プランが登場した瞬間にテレコムは接続性のマーケットから撤退する意思決定をした」という読み方ができる点です。使い放題プランとは、接続性の価値を定額に封じ込めることです。どれだけ多くのデータを通しても、事業者の収益は変わらない。そこから先のすべての付加価値は、プラットフォーム事業者(GAFA)が刈り取る構造が固定されました。もちろん当時の経営判断としては合理的だったでしょう。競合との価格競争の中で差別化できる手段が限られていたのも事実です。しかし、その判断が積み重なることで、テレコムはインフラ屋というアイデンティティに自らを閉じ込めていったとも言えます。接続性を商品化した瞬間、テレコムはサービス事業者であることをやめインフラ事業者になりました。インフラ事業者の収益モデルは、設備稼働率と規制環境に依存します。イノベーションの余地は構造的に狭い。ここに、テレコムが20年間収益成長できなかった根本原因があると思います。
楽天モデルの普遍性と特殊性
Hollingworth氏は楽天のエコシステムモデルを成功例として提示します。確かに説得力がありますが、ここで一度立ち止まって考えてみたいことがあります。それは、楽天モデルはどこまで普遍的か、という問いです。楽天が成功した背景には、いくつかの特殊な条件があります。まず、楽天はテレコム参入以前にすでに数十のビジネスと数億人の会員を抱えるエコシステムを持っていました。テレコムは最後のピースとして組み込まれました。言い換えれば、楽天モバイルは既存のエコシステムを強化するための戦略的投資であり、収益それ自体が主目的ではなかった側面があります。一方、多くの通信事業者はテレコムだけでビジネスをしています。エコシステムの基盤を持たない事業者が、同じLTV思考をどう実装するかは、楽天の事例から直接導き出せない部分があります。
エコシステムなき通信事業者にとっての示唆
だからといって、エコシステムを持たない事業者にとってHollingworth氏の議論が無意味かというと、そうは思いません。むしろ逆説的に、重要な示唆があると考えます。「エコシステムを持っていないのであれば、持っている者のパートナーになる」という戦略です。自前でエコシステムを構築しようとすると、楽天が20年以上かけてたどり着いた場所に、後発組がコストをかけて追いつく競争になります。それよりも、すでにエコシステムを持つプレイヤー(金融機関、流通、ヘルスケアなど)に対して、ネットワークのケイパビリティを提供する事業者として特化する方向性の方が、現実的かつ差別化可能です。ドローン交通管理、スマートロジスティクス、エンタープライズプライベートネットワーク。Hollingworth氏が列挙する新事業領域のほとんどは、テレコム単独では成立しません。何らかの業界パートナーとの協業が前提になっています。つまり、複数ビジネスの設計とは、自社内にエコシステムを構築することではなく、業界横断的なケイパビリティプロバイダーになることだと解釈することもできます。
「AIはツール」という当たり前を言い続ける意味
「AIは目的ではなくツールだ」という主張は、言ってしまえば当然のことです。にもかかわらず、Hollingworth氏があえてこれを論考に盛り込んでいるのは、それが「当然のことを当然と理解できていない」組織や人が業界に溢れているからでしょう。2023年以降のAIブームの中で、多くの企業が「AI戦略」を策定しました。しかし、その多くは「AIを使う」という手段が目的化してしまっています。何のためにAIを使うのか、その答えが「AI化率を上げるため」になってしまっている組織を、私は実際に見てきました。Hollingworth氏が示す楽天の事例は、この点で非常に具体的です。RCAを80%高速化する、分析時間を97%削減する、テスト時間を15分の1にする。これらはすべて業務上の具体的な課題解決としてAIが機能している例です。
プログラマブルなアーキテクチャへの組み込みこそが核心
私が特に重要だと感じるのは「AIをプログラマブルなアーキテクチャに組み込む」対「レガシーアーキテクチャの上にAIを重ねる」という対比です。後者のアプローチは、今の日本企業の多くが陥っているパターンです。既存の業務フローがあり、その上にAIのレイヤーを付け足す形で導入する。短期的にはコスト削減効果があるように見えますが、業務フローそのものがレガシーであれば、AIはレガシーを自動化しているに過ぎません。本質的な変革とは、業務フローを再設計した上でAIを組み込むことです。しかしそれは、今の仕事のやり方を変えることを意味するため、組織の抵抗が大きいです。技術的な問題ではなく、変革管理(チェンジマネジメント)の問題です。「AIをレガシーの上に重ねるな、アーキテクチャを再設計してから組み込め」という教えは、テクノロジー論であると同時に組織変革論でもあります。どちらの側面も欠けていては、実現できません。
97%削減の数字をどう読むか
eNodeBログ解析の分析時間を97%削減したという実績は、額面通りに受け取ると非常にインパクトがあります。しかしこれを「AIがそれほど優秀」と読むのではなく「従来の手法がそれほど非効率だった」と読むことも大切です。もし97%削減できたのであれば、従来は人間が手作業でやっていた部分がほとんどだということです。つまりここで起きていることは、AIによるイノベーションではなく、AIによる自動化です。自動化と革新は異なります。
革新とは、それまでできなかったことができるようになることです。97%の時間削減によって浮いたリソースが、それまで手が届かなかった課題に投入されて初めて、真のイノベーションが生まれます。そのループが回っているかどうかを問い続けることが、AIをツールとして正しく使いこなすための本質的な姿勢だと思います。
世代交代思考の呪縛
テレコムが変革を「3Gから4G、4Gから5G」という世代単位で思考してきたという指摘は、業界外から見ると不思議に映るかもしれませんが、業界内から見ると非常に根が深い問題です。標準化サイクルに合わせた投資計画は、ある意味で合理的です。業界全体で足並みを揃えて動くことで、調達コストが下がり、相互接続の複雑性が管理できます。しかし、その合理性は業界の内側でしか通用しません。顧客から見れば、5Gになったからといって突然新しいサービスが使えるようになるわけではありません。5G対応スマートフォンを持ちながら、使っているアプリは4G時代と変わらないという状況が長く続いた。これは世代交代という供給者の論理が、需要創造につながっていなかった証左です。
ソフトウェアの速度とは何か
Hollingworth氏が「新収益はソフトウェアの速度で動く」と述べる時、その速度の意味を具体的に考えてみたいと思います。ソフトウェア企業がサービスをリリースするサイクルは、週単位から月単位です。A/Bテストを回し、フィードバックを得て、改善する。このサイクルの速さが、顧客ニーズへの適応力の差となって表れます。一方、テレコムの設備投資サイクルは5年から10年単位です。基地局を建てて、数年かけて回収する。このサイクルの中では、顧客ニーズの変化に対応することよりも、計画通りに投資を回収することが優先されます。この構造的なギャップを埋めるには「ハードウェアへの投資をソフトウェアへの投資に置き換える」だけでは不十分です。組織の意思決定サイクルそのものを変える必要があります。週単位でサービスの効果を評価し、月単位で方向性を修正する。そういった学習するオペレーションの設計が、テレコムに最も欠けているケイパビリティかもしれません。ソフトウェアの速度で動くとは、単に開発が速いということではありません。仮説を立て、試し、学び、修正する。そのループを速く回せる組織文化と意思決定構造を持つということです。これはテクノロジーの問題ではなく、経営の問題です。
マインドセットが制約になるというテーゼの重さ
シリーズ全体の結論として「技術ではなくマインドセットが制約だ」とHollingworth氏は述べます。これは一見すると精神論のようですが、実態は非常に具体的な指摘だと受け取っています。プロダクト思考、アーキテクチャの所有、短いイテレーション、データ駆動の実験。これらを実践するためには、組織の評価制度、採用基準、予算承認プロセス、意思決定権限のすべてが整合していなければなりません。マインドセットの変革は、制度の変革を伴わない限り組織に根付かないからです。
調達の卓越性が生み出す優秀な人材の問題
従来のテレコム組織が調達の卓越性に最適化されてきたというHollingworth氏の指摘から、一つ踏み込んで考えてみたいことがあります。それは人材の問題です。調達に強い組織では、優秀な人材ほどベンダーを上手くコントロールする能力が評価されます。交渉力、仕様管理、ベンダー評価。これらは、相手がいることを前提としたケイパビリティです。一方、プロダクトを自分たちで作る組織では、優秀な人材はゼロから何かを設計する能力が評価されます。アーキテクチャ設計、プロトタイピング、技術選定。これらは内発的なケイパビリティです。二つの能力が重複することは少なく、組織文化も評価基準も大きく異なります。「調達優秀な組織がプロダクト思考に転換する」というのは、優秀な人材の定義そのものを変えることを意味します。これは経営変革の中でも最も困難な類の変革の一つです。現場のベテランが急に価値を失うと感じるような変革は、組織の中から強い抵抗を受けます。
段階的なモダナイゼーションという現実的な落とし所
Hollingworth氏が「変革はリプレースを必要としない、段階的に可能だ」と述べている点は、戦略的な現実主義として高く評価します。テレコムのシステムは非常に複雑で、稼働中のネットワークを止めることは許されません。全部入れ替えるアプローチは、理論上は最もクリーンですが、現実的なリスクとコストを考えれば、多くの事業者にとって選択できないオプションです。段階的なモダナイゼーションは、一方で「いつまでも移行できない」というリスクも孕みます。技術的負債の解消を先送りにし続けると、ある時点でシステムの複雑性が臨界点を超え、もはや誰も触れないモノリスになってしまいます。日本の大手企業の基幹システムの多くがこのパターンに陥っています。「段階的に変革せよ」という教えは正しいです。しかし「段階的」には期限と優先順位が必要です。永遠に段階的であれば、それは変革ではなく現状維持の合理化です。
この論考が本当に問いかけていること
Hollingworth氏が問いかけていることは、突き詰めれば一つです。「あなたの組織は、自分の事業について自分で考えていますか?」という問いです。テクノロジーが急速に進化する時代において「他者が作ったものを調達して組み合わせる」アプローチは、どの業界においても限界に近づいています。調達できるものは競合も調達できます。差別化は、自ら考え、設計し、所有するものからしか生まれません。テレコムはこの問題の最も先鋭化した事例の一つです。巨大なインフラ投資が必要で、規制環境も複雑で、世代交代のサイクルが長い。だからこそ「外注して安定させる」という誘惑が強く「自ら設計して変革する」という意志が試され続けます。楽天が実証したことの本質は「テレコムでも自律的な設計は可能だ」というシンプルな事実です。可能であることが示された以上、後は意志の問題だとHollingworth氏は言います。この意志という言葉が、論考全体の最も重い言葉として私の中に残っています。「コストがかかると思って機会を見逃すな」というHollingworth氏の最後の言葉は、テレコムだけに向けられた言葉ではないかもしれません。自分が属する組織や業界に向けて、同じ問いを持ち帰る価値のある言葉です。変革が怖いのは、失敗するかもしれないからではありません。成功した時に、それまでの自分たちの正しさが問い直されるからです。そのリスクと向き合い続けることが、AI時代のビジネスリーダーに求められていることではないでしょうか。
From connectivity to new revenue: Designing telecom businesses for the AI era
https://symphony.rakuten.com/blog/from-connectivity-to-new-revenue-designing-telecom-businesses-for-the-ai-era
