映画評「バード★シット」(1970年/アメリカ)

1970年/アメリカ/105分 監督:ロバート・アルトマン 脚本:ドーラン・ウィリアム・キャノン 撮影:ラマー・ボーレン/ジョーダン・クローネンウェス 出演:バッド・コート/サリー・ケラーマン/マイケル・マーフィ/ウィリアム・ウィンダム

一番印象に残ったのはサリー・ケラーマン。カラスを腕にとめた彼女が、スタジアムから歩み去り、光り輝く外に出ていく後ろ姿がとても美しい。どこかで見た夢のようだ。アストロドームの広さを有効活用した効果的なシーンだ。彼女の背中には傷跡が見える。鳴き声を聞くと、かつては鳥であったような気もする。翼をもがれた天使のような気もする。個性的な存在だ。純真無垢な主人公を守る立場にいる。善悪をこえた、奇妙に逸脱したなにかだ。それ以外にも、地下室にやってくる少女、盗んだスポーツカーを乗り回す女性など、登場人物には変人が多い。壊れかけたなにか。殺された人物たちも相当な変わり者たちだ。アメリカの自由な空気を曲解して、こんな逸脱した人格が形成されてしまったのだろうか。どこか間違った人たちだ。話の筋も、もはや普遍的な意味をつかみ取ることすらも不可能な逸脱。思いのままにカメラが回る。カーチェイスが不必要なくらい長く、シュールな出来映えだ。スポーツカーが爆走する快感と、車がスローモーションでジャンプする快感と、水しぶきを上げてスローモーションで車が飛びこむ快感に身を任せすぎだ。特に線路の上を走っているシーンはユーモラス。息をつかせぬスリリングな演出ではなくて、少しのんびりしている。刑事物としての捜査の流れを主軸に、どこまでも馬鹿にしたような反体制。国歌とタイトル表示をやり直し、車椅子が疾走し、カメラを盗む。全てが即興で制作されたような適当さ。快感重視のバカバカしさ。最後はなぜかサーカスのパレードが始まり、登場人物の紹介で終わる。壊れかけたどこか。危うい現実の崩壊感覚。主人公はニューシネマのように、「明日に向って撃て!」のように銃を持った連中に囲まれて、虫けらのように、鳥の糞のように、なにかをつかみ取ろうとしてつかみきれないまま、滅びさっていく。巨大な鳥カゴのようなアストロドーム。最先端の技術の集大成であるかのようなこの場所で、飛翔する。人力飛行だ。絶対に飛べるはずのない外見だ。鳥のように優雅に舞う美しいシーンだが、実際に夢に見たような雲の上の風景を見ることはできない。鳥カゴの中を必死に飛んでいるように見える。自由の象徴のように見えて、自由を制限しているようにも見える。少年はなにを求めていたのだろうか。求愛行動が、鳥のように飛行を制限しているのだとしたら、飛べる人間はそもそも人間ではないのではないか。太陽に近づきすぎたイカロスや、林檎を食べたアダムとイブのように、少年はルールを破って墜落する。物悲しい。知恵をつけることは悪いことではない。空を飛びたければ飛行機に乗ればいい。ただ、空を飛んだからといって、自由になれるのか、夢をつかめるのか、幸せになれるのか。純真無垢な方には失礼かもしれないが、世の中そんなに甘くないだろう。あの変な機械をつけてがんばらなくても、少年は飛べたのではないか。求めていたものが手に入ったのではないか。少年自身も理想から逸脱したのではないか。「おーい!間違ってるぞー!そこで飛ぶと危ないぞー!」と、私の頭の奥で声が聞こえる。まだ結論が出ているわけではない。人間らしい自由を見つけにいこうじゃないか。そんな気分になった。