映画評「フィッシュストーリー」(2009年/日本)

2009年/日本/112分 監督:中村義洋 撮影:小松高志 原作:伊坂幸太郎 脚本:林民夫 音楽プロデュース:斉藤和義 出演:伊藤淳史/高良健吾/多部未華子/大森南朋/森山未來/濱田岳

くだらないことばかりが続く世の中である。心が風邪をひいていたので、仕事中に「心が風邪をひいてるんだよね」と、取引先に言ったら、うろたえさせてしまった。心が風邪をひいたので、2012年に彗星が落ちてくる映画「フィッシュストーリー」。あと少しで地球が滅亡するとしたら、私はなにをしようか。カメラを撮りに行くか、それとも映画を見るか。この映画のようにレコード屋に行くかもしれない。なかなかいい過ごし方かもしれない。なんとなく、この映画の、レコード屋にいる雰囲気に好感と共感を持つ。でも、本当に滅亡はあるのだろうか。望みはないのか。この映画に、いつも勇気づけられる。小松高志の撮影が、いい感触だ。夢の中にいるかのような映像感覚。コントラストは強くなく、色は飛ばず、どこか懐かしい。ロックンロール的なものの中に漂っていると、時間を超えていくのが分かる。そもそも70年代も2012年も、どちらも音なのである。音はどれも、同じ感覚で耳に届く。時代の流れをつなげるために音楽を効果的に使っている。75年、82年、09年、12年。それぞれの場面場面で真剣勝負である。話の流れとしても、どの場面も緊張感があって真剣勝負である。どのシーンにも、非常に力が入っている。かっこいいショットも多い。特に、フィッシュストーリーの本が置かれているテーブルを上から映した短いショットが良かった。このショットは、シナリオ的には「本に気づく」だけだ。転がったビール缶、テーブルの位置を正し、タバコを吸って一息つくと、本に気づく。ああいう風に撮ると、自然な感じになる。なかなか、ああいう風には撮れない。結末でも、ターンテーブルとテレビが置かれた机を上から撮ったシーンがあって、レコードと地球規模の災害が同じ大きさになっていて、きっかけと結末を上手に表現できている。登場人物も多く、1対1のつまらない会話の流れがほとんどなくて、ほとんどが3人以上の関係性を持たせて、ざわざわした場面が多かったところも印象に残った。打ち上げの居酒屋のシーンではメンバーと共に座っているかのような感覚になる。開かれた空間を演出していて、非常に巧みだ。地球滅亡。予言。正義の味方(森山未來が印象的な演技を見せている)。謎のレコードの空白。これらがかみあわさって、物語が進んでいく。この謎をはらみながらの推進力が、気持ちいい。パンクロックの疾走感。若者の心の叫びである。心の風邪によく効いた。「このまま消えていくならよ。おれたちのやってきたことは、なんの意味もないってことになるのかな?」と登場人物が話すが、これがこの映画のテーマだろう。小さな積み重ねや一瞬の偶然、なにげない人々の触れ合いが、大きな流れを生み出すこともあるのに違いない。深い意味がありそうで、実はでたらめ。すでに音楽的な効果とは無関係でもあるかもしれないが、人々の行為には、すでになんらかしらの他者にたいする関係が含まれているのである。そういうテーマを、その題名のごとくホラ話的な、大ぶろしきを広げすぎた展開の中にさわやかに描き出した所に、大きな魅力を感じる。この映画の後、心の風邪が、治っていた。こういう映画を見た観客と共に世界は滅亡を乗り越えて進んでいくのである。