
映画評「幕末太陽傳」(1957年/日本)
1957年/日本/110分 監督・脚本:川島雄三 脚本:田中啓一/今村昌平 出演:フランキー堺/南田洋子/石原裕次郎/芦川いづみ
2011年12月25日に新宿の映画館「テアトル新宿」までデジタル修復版を見に行った。昭和32年(1957年)の作品だが、ここまできれいに修復されていると、新作を見るような雰囲気に近い。特に音声が聞き取りやすくてよかった。傑作という評判の高い映画だが、非常に軽やかだ。軽快である。気持ちのいい夢の中にいるような、どこまでも眺めていたくなるような映画だった。非常にしっかりとしたセットを最大限に有効活用し、ざわざわした楽しげな雰囲気を演出している。これは、そのまま日本映画黄金期のざわめきなのだろう。遊郭と映画村。この映画の躍動感は、時代がなせる技なのだろう。落語は言葉のやり取りだから、テンポが早い。映像ではなかなか再現できそうにないのだが、フランキー堺らの俳優が縦横無尽に画面を動き回ることによって成立している。その動きはとても元気だ。最後、主役はどこに去って行ったのだろうか。映画の最後になって、このユートピアのような宿から去っていく人も多い。この桃源郷を去って、みんなどこへ行くのだろうか。そこは夢の世界だろうか。映画だから夢に近いだろう。それでもそこは、現実である。気持ちのいい夢の中にいるような、どこまでも眺めていたくなるような現実の中に飛びたっていったのだろう。夢を、現実にしなければならないのだ。と、なにか、意気込みたくなる感動を受けた。観客までもが元気になるような、非常に気持ちのいい映画だった。これだけ面白いのに続編ができなかったのは、監督が日活で撮った最後の映画だったせいだろう。この「ラスト作」という位置づけは、そのままどこまでもかけぬけていくラストシーンにも通じる気もする。咳をし続ける主人公、という部分は、病気を患っていた監督自身を投影したものだろう。この主人公、独特の魅力がある。超人かといえばそうでもない。病気なのである。病を秘めつつも、町人ならではの才覚で動き回るその姿が面白い。嫌な奴かといえばそうでもない。壊れた時計を次に会う時までに修理しておく約束したり、人を信用するなと言いながら10年後の支払いを引き受けたり、病気も一流の腕前の医者に診てもらうつもりでもいる。どうも未来は見込み薄だが、明るい希望がある。寒い中にも温かい。この軽やかさ。人生賛歌の視点は素晴らしい。全ての喜劇はこうあるべきだ。喜劇でなくてもこうあるべきだ。