
映画評「僕らのミライへ逆回転」(2008年/アメリカ)
2008年/アメリカ/101分 監督:ミシェル・ゴンドリー 出演:ジャック・ブラック/モス・デフ/ダニー・グローヴァー/シガーニー・ウィーヴァー
小学生の頃、休み時間に友達と漫画をかいていたが、下手くそすぎる絵だったのに、周りの友達はけっこう面白がっていたことを思い出した。あと、深夜放送のコント番組がゴールデンタイムに昇格したとたんにつまらなくなっていく現象も思い出した。映画館に入り、この映画の前に延々と流された予告編では、なんの悩みもなさそうな若者たちの退屈な映画、地球が危機に陥る映画が大々的に宣伝されていたため、映画が始める前に逃げだしそうになった。本当にみんな、喜んで見ているのだろうか。なにを求めて映画を見ているのか。さらに、私の価値観は、ちょっとずれていないだろうか。もちろん、自分の価値観を正当化する理由などないのだが、はなはだ、映画を好きなんだけど、映画館でやっている9割がたの映画は、とても見る気がしない今日この頃だ。この映画の存在を、仕事中、たまたま開いてしまった映画の紹介ページから知った。「ビデオテープの中身を消してしまったため、自作自演で名作や旧作映画を撮るハメになったレンタルビデオショップ店員」というあらすじの文を読んだだけで、仕事中、爆笑してしまった。設定に、深みがある。レンタルビデオショップ店員にとって、商売道具を全部消すのは、地球規模の災害である。コントだったら面白そうだが、映画として大丈夫なのか。という無意味に危険な香りを感じたのだ。普段は深夜まで続く仕事を8時に切り上げ、バルト9へ。まず、受付で座席を選ぶ時に、あまりに座席数の少ないスペースに爆笑。「大作映画がたてこんでしまいまして」と店員がなぜか言い訳していたが、100人も入らないんじゃないか。しかも半分以上が埋まっていなかった。ジャック・ブラックは、なかなかのくせ者で、「絶対に相手を食ってやろう」とする、コメディ役者の「業」を常に感じる、危ない役者だ。竹中直人に近い。ともすれば作品全体を壊しかねないほどの破壊力を持っている。この映画でも空虚なほどのエネルギーの爆発ぶりを見せたが、役柄としても「一風変わった人」という位置づけだったせいか、監督の繊細な撮影のせいか、作品から逸脱しつつもかろうじてギリギリの線でストーリーを成り立たせている。なぜか彼のスーパーオーバーな演技は、見終わった後に、非常に「リアル」な印象を持った。ジャック・ブラックすらも受け入れるだけの大きな空間が、この映画にあるのだ。大きな空間は、アメリカの開放感でもあるのかもしれない。ほとんど全ての場面で1対1の退屈な会話場面を作らなかった点に、非常に好感を持った。ここがこの映画の最大の魅力だ。どこかで開かれているのだ。最後の場面でも象徴的だったが、閉じたようでいて、非常に開放的なのだ。「店がつぶれそう」、「商売道具が全滅」、「すぐに映画を自分たちで作らなければならない」というシナリオ上のカセが非常に上手に展開されている。なぜかみんなに喜ばれて、そこから、主人公たちは、みんなを巻きこむ。ここに開放感がある。そこから、観客にもクリアに理解できる障害のため、絶対回復不可能なピンチに陥る。この流れも自然だ。夢物語が現実に負ける展開は、悲劇的である。しかし、この映画では、さらなる高みを目指している。「なんのために映画を撮るのか」という理由づけが、感動的だ。静かなピアノが流れる中で、道路にいるみんなに説得されて映画を撮ろうと決心する店長のシーンで、涙が出てきた。最後のエンディングテーマ、Jean-Michel Bernard and Moe Holmesの「Mr. Fletcher’s Song」は、一度くらい聞いたほうがいい名曲だ。帰り道、気分が良かった。簡単なことなのだ。こういう映画を見るために、私は映画館に行くのである。
