映画評「画家と庭師とカンパーニュ」(2006年/フランス)

2006年/フランス/109分 監督・脚本:ジャン・ベッケル 脚本:ジャン・コスモ/ジャック・モネ 原作:アンリ・クエコ 撮影:ジャン=マリー・ドルージュ 出演:ダニエル・オートゥイユ/ジャン=ピエール・ダルッサン/ファニー・コタンソン/エロディー・ナヴァール

のんびりとした時間が、静かに流れていった。冒頭の2分10秒のタイトルバックの長回しから、すでにゆったりしている。すばらしい緑が広がっている。燃え広がるような緑だ。私は緑色がとても好きなので、見入ってしまう。画家役のダニエル・オートゥイユは「メルシィ!人生」以外で見たことはないが、キレのいい動きでリズムがいい。鼻歌交じりでダンスしているかのように気軽に演技するので見ていて落ち着く。時たま見せる、いたずらっ子のような表情にも愛着がわく。庭師役のジャン=ピエール・ダルッサンは、本当にそこで生まれた庭師のようだ。わざとらしく演じると嘘くさくなるし、難しい役だ。よく見ると、表情と身のこなしが洗練されている。地に足のついた、共演者や観客を育ててくれるような温かい演技だ。有能な役者というものは、有能な庭師のようなものなのかもしれない。爆竹、デリュゾー爺さんの店、好きだった女の子、パン屋の息子、バルダゴー、昔話は尽きない。話をたたみかける手法が巧みだ。歯医者やナイフなどの話題がポンポン飛び出して、会話が自然に流れ続ける。いつまでも2人の話を聞いていたくなる。身振り手振りの動きが小気味良い。長年培われた技術なのだろう。フランス映画という菜園が育てた実りある2人の演技だ。菜園が主な舞台だ。菜園ができるまでの作業工程を初めから展開していくのでそのステップが面白い。なにもない場所から菜園ができる。そこには変化もあり、成長もある。画家の心の流れを上手に表現している。「時々向きを変えて空を見る。俺はあそこへは行かない。迷子になる。地下のほうがいい。根があれば道しるべになる」と、菜園に横たわりながら庭師が言う。庭師自身の人生も地に根を張るように生きている。ずっと同じ場所にいるので記憶もはっきりしている。地面に根を張った記憶である。鉄道のレールも根を張るように地上に伸びている。根を張り地面を愛する男は自分を持っている。わからないことはわからないと言う。人を尊重する。人の言葉を聞く。地に足をつけ、満足している。実りを愛している。実りを待っている。「俺が好きなものを描いてくれ」と庭師が言う。長年画家をやっていると、小難しい芸術理論とか振りかざすようになるのかもしれない。外にいつつも想像の部分を重視して描くこともあるだろう。注文に応じて好きでもない絵を描くこともあるだろう。さまざまな技巧を駆使することもできるだろう。しかし、画家としての本質的なテーマが、この庭師の言葉にあるような気がする。作品を作りながら、この色だったら、喜んでもらえるのではないか?これくらいの大きさだったら、たぶん満足しそうかも?これを描くといいのではないだろうか?こんな風に描けばいいんじゃないか?こうしたら彼もびっくりするかな?笑ってもらえるかな?おそらく、作品を作るために試行錯誤が必要であり、彼の身に立って考えたり、実際の対象をよく見つめてしっかりと理解する必要もあるはずだ。楽しい思い出の中で、自分で作品にすることによって、見えてくることもあるだろう。展覧会のシーンが泣けてくる。海岸の絵も描かれていた。友人の心の中に入りこんでいるような、対話しているかのような作品だ。庭師のもっとも好んでいる対象を素朴に明るい色で描いている。もちろん描いている間も、完成しても、彼はそこにはいない。画家は、最後、とても満足そうだ。実際の作品が、見てくれる人、対象、画家と一体化している。芸術のあるべき姿なのかもしれない。この映画の場合はさらに観客の気持ちと一体化している。進むにつれ、なにかが育まれていく感覚。この映画は、ここで豊かな実りをもたらしている。家庭菜園のようなささやかな映画だが、ここでの味わいは格別だ。