
映画評「25時」(2002年/アメリカ)
2002年/アメリカ/136分 監督:スパイク・リー 出演:エドワード・ノートン/フィリップ・シーモア・ホフマン/バリー・ペッパー/ロザリオ・ドースン
スパイク・リーは、肌の色を問わず、こういう普通のニューヨーク市民を描く映画で、もっとも力を発揮するのではないだろうか。物語に緊張感をはりめぐらせて、飽きることがない。最後まで気が抜けず、久しぶりに物語に没頭した。主人公は悪者だし、最後は刑務所に入れられるのだが、なぜか明るい気分になった。ハッピーエンドのように感じた。これは、なぜだろうか。構図のバランスのよさ、はっきりと輪郭を描く画面は、どこか冷めていて、乾ききっている。突き放したようで無機質な感じもするが、日常的な物語には合っている。落ち着いたシーンが多いのだが、クラブのシーンでは鮮やかな色彩と音楽で刺激的な画面を作っていてメリハリをつけている。ウォール街でのシーンでは、短い時間にそれぞれの役柄や人間関係が良く出ていて、鮮やかな演出だ。感情の爆発が許される状況下にあるが、主人公は泣き叫んだりしない。エドワード・ノートンの抑えた演技に惹きつけられる。脚本自体に力があり、さらにエドワード・ノートンが輝かせている。鏡に向かって人種的な嫌悪を吐き捨てるシーンが印象的だ。誰にも向かわずに、その言葉は自分に返ってくる。不安な心理を明確に描き出すと共に、主人公の社会に対する違和感が浮かび上がってくる。刑務所に入るためには、法律を受け入れる必要がある。そしてさらに、この物語では人間関係をも受け入れようとしている。力なくベッドの中に寝そべったりせずに、主人公は動き回っている。恋人や友人や父や組織との人間関係の修復に向かっている。バリー・ペッパーの演技が印象に残った。ボールを握っていたり、チャーハンを手づかみで食べたり、完全に大人ではない、子供っぽさを残したような雰囲気が、主人公の幼なじみとしての役柄に適応していた。フィリップ・シーモア・ホフマンは、与えられた役柄以上の物を引き出している。ただのモテないダメ人間というわけではなく、感受性の高い、知的な、ウッディアレンのようなニューヨーカーを演じている。酒をまずそうに飲んでいるのが印象に残った。下戸なのだろうか。違うとしたら、たいした演技力だ。彼のかぶるヤンキースの帽子がニューヨークらしさを悪趣味に強調していて面白かった。犬がいることでただの歩行シーンでも動きがついて飽きさせない。この映画は、アメリカの行き詰まりを見せているものではない。不治の病に冒された主人公でも、成立しそうな物語かもしれない。この映画では生命感が違う。未来がある。主人公は生きるのをあきらめていない。地に根ざした、草の根的な、確かな未来を最後の夢のシーンではっきりと描いている。24時間をアメリカ社会を受け入れることによって積極的に生きている。最後に見た夢も、7年の刑期を終えれば実現不可能なものではない。ようするに、アメリカンドリームなのだ。