
「人の手」から「ゼロタッチ」へ:通信業界の新たなパラダイム
通信業界は今、かつてないスピードで「自律型ネットワーク」への移行を加速させています。これは、ネットワークが自ら構成を考え、修復し、最適化を行うことで、人間の介入を最小限に抑える未来の姿です。
先日、The Network Media Group(NMG)が主催し、楽天シンフォニーのアジア太平洋地域(APAC)営業担当VPであるRishi Shukla氏や、Telstra Internationalの顧客成功責任者Gaya Byrne氏らが登壇したセッションでは、この「ゼロタッチ・オーケストレーション」への道筋が極めて現実的な視点で語られました。
https://youtu.be/A-oEKoZX6CU
動画の説明:AI、自動化、そしてインテントベース・ネットワーキング(意図に基づくネットワーク)が、通信事業の運用をいかに変貌させているか、その全貌を解き明かします。楽天シンフォニーとテルストラ(Telstra)のリーダー陣が、APAC地域における「人間主導のプロセス」から、「ゼロタッチ・オーケストレーション」や「自律管理型ネットワーク」への移行に向けた道のりについて議論します。
自律化への「5つのステップ」:一歩ずつの進化
ネットワークの自律化は、一夜にして成し遂げられる魔法ではありません。業界リーダーたちは、それを「階段(ステアケース)」を一段ずつ登るようなプロセスであると表現しています。
ステップ1:分離とクラウド化(Disaggregation & Cloudification)
まずは、ハードウェア中心の構造から、ソフトウェア駆動のクラウドネイティブなスタックへと移行します。
ステップ2:インテントベースの自動化(Intent-based Automation)
手動のコマンド入力ではなく、「低遅延を実現したい」「回復力を高めたい」といった「意図(インテント)」を定義することで、システムが最適な動作を選択します。
ステップ3:AI-Opsとクローズドループ(Closed-loop Assurance)
AIが遅延の予兆やコンポーネントの過熱、トラフィックの急増を検知し、リアルタイムで自動修正を実行します。
ステップ4:クロスドメイン・オーケストレーション
海底ケーブル、地上波、クラウドを横断してエンドツーエンドで俊敏性を高めます。
ステップ5:ゼロタッチの実現
最終的に、あらゆるハードウェア上でアプリケーションが動作し、オープンAPIでエコシステムが繋がる完全自動化の状態へ到達します。
「後手に回らない」運用の実現
これまでのネットワーク運用は、問題が発生してから対応する「チケット駆動型」が主流でした。しかし、自律型ネットワークでは、KPIの低下を検知した瞬間にポリシーを自動調整する「クローズドループ(閉ループ)補正」が可能になります。例えば、イベント等でトラフィックが急増する際に「ジャストインタイム」でリソースを拡張したり、回線劣化時にプロアクティブにルートを変更したりといった運用が、顧客が不具合を感じる前に実行されます。
「人間」の役割はどう変わるのか?
ここで重要なのは「自律化=人間が不要になる」ではないという点です。
セッションでは、自動化と人間の検証の比率は「80対20」程度に落ち着くのではないかと予測されています。セキュリティ、コンプライアンス、重要なポリシーの策定といった「ガバナンス」の領域では、引き続き人間の判断が不可欠です。運用担当者の役割は「手作業で修理する人」から「インテント(意図)の設計者」や「ワークフローのデザイナー」へと進化していくことが求められています。
自律化がもたらすビジネス価値
自律型ネットワークへの移行は、単なる技術的なアップグレードではありません。まず、収益化が加速します。オーケストレーションの高速化により、新サービスの市場投入までの時間(Time-to-Value)が短縮されます。次に変化への適応力が増します。5〜10年単位だった技術サイクルが12〜18ヶ月へと短縮される中で、常に最新の状態を保つ俊敏性が手に入ります。楽天シンフォニーのRishi Shukla氏が述べる通り、ゴールは「クラウドネイティブなプラットフォーム上で、オープンAPIによって全てが繋がる世界」です。通信キャリアは、標準化(TM Forumなど)とスキル変革を武器に、この「自律化の階段」を確実に登り始めています。

私見と考察:通信ネットワークの自律化は生存戦略
通信キャリア(Telco)にとって、ネットワークの自律化はもはやあれば便利な機能ではなく、ビジネスモデルを維持するための生存戦略へと変貌しています。なぜこれほどまでに「ゼロタッチ」が叫ばれるのか、その背景と未来の風景を深掘りします。
人間には管理不可能な複雑性への到達
かつてのネットワークは、物理的なスイッチやケーブルを人間が管理できる範囲に収まっていました。しかし、5Gの普及、エッジコンピューティングの台頭、そしてスライシング技術の導入により、管理すべきパラメータは指数関数的に増大しました。もはや「人間がアラートを見て判断する」という従来型モデルは限界に達しています。Shinde氏が述べる「インテントベース(意図ベース)」への移行は、人間が「何をしたいか(What)」だけを定義し「どうやるか(How)」を機械に任せるという、管理の抽象化を意味します。IT業界における「コードによるインフラ管理(IaC)」が通信業界に完全定着するプロセスと言えるでしょう。
80:20の法則が示唆する、人間の知性の再配置
記事の中で興味深いのは、完全自動化(100%)を目指すのではなく、人間によるガバナンス(20%)を残すというら現実的な落とし所です。これは、AIに対する信頼と説明責任のバランスを象徴しています。特に通信は公共インフラであるため、万が一の際の責任所在が曖昧なブラックボックスな自動化は許容されません。今後の通信エンジニアに求められるのは、ルーターの設定コマンドを覚えることではなく、ビジネスの要求をネットワークの意図に翻訳する能力になります。運用者の仕事は現場作業からポリシーの編集へと、よりクリエイティブな上流工程へとシフトしていくはずです。
ジャストインタイムなネットワークが変える収益構造
記事で触れられている「トラフィック急増へのリアルタイム対応」は、単なるユーザー体験の向上に留まりません。これまでは、最大負荷(ピーク時)を想定して過剰な設備投資(オーバープロビジョニング)を行うのが常識でした。しかし、自律型ネットワークによる動的なリソーススケールが実現すれば、必要な時に必要な分だけリソースを動かすオンデマンドな設備運用が可能になります。これにより、例えば「この1時間だけ、超低遅延なゲーミング用回線を提供する」といった、極めて細粒度なマネタイズが可能になります。俊敏性こそが、通信キャリアを単なる土管屋からサービスプラットフォーマーへと脱皮させる鍵となります。
オープン化と標準化の副産物
楽天シンフォニーが強調する「Open APIs」や「TM Forum」への準拠は、ベンダーロックインからの解放を意味します。特定のベンダーに依存せず、最高のリソースを組み合わせて自律ネットワークを構築できる環境は、業界全体のイノベーションを加速させます。一方で、これはキャリア間の差別化が設備の質ではなく、いかに優れたAIを飼い慣らしているか、というソフトウェアの知能指数で決まる時代が来ることを予感させます。
自律化の先にあるインビジブル・ネットワーク
自律型ネットワークの最終形態は、ユーザーにとっても運用者にとっても「ネットワークの存在を意識させない(Invisible)」状態にすることです。インフラが空気のように、状況に合わせて自ずと最適化される。この「ゼロタッチ」の実現は、通信業界がソフトウェア産業として真に成熟した証となるでしょう。Shinde氏が提示した階段は、単なる技術ロードマップではなく、通信キャリアが21世紀のデジタル社会で主役であり続けるための進化の階段なのです。
Autonomous networks: From human-led operations to zero-touch orchestration
https://symphony.rakuten.com/blog/autonomous-networks-from-human-led-operations-to-zero-touch-orchestration
