
AIOpsが変えるネットワーク運用:予測的インテリジェンス
ネットワーク障害が発生してから動き出す。長年、通信事業者の運用現場はその繰り返しだったと言えるでしょう。しかし近年、AIOps(AI for IT Operations)の普及が、その構造を根底から塗り替えつつあります。2026年のMWC(モバイル・ワールド・コングレス)では、Colt、TELUS、Ribbon、そして楽天シンフォニーのリーダーたちがAIOpsの現在地と課題を率直に語り合うセッションが開催されました。
動画の説明:現代の通信ネットワークにおいて、事後対応的なトラブルシューティング(Reactive troubleshooting)だけではもはや不十分です。The Network Media Group(NMG)が主催するこのMWC26のパネルディスカッションでは、Colt、TELUS、Ribbon、楽天シンフォニーのリーダーたちが、実際のネットワーク運用におけるAIOpsの活用方法について掘り下げます。分散化・仮想化が進むソフトウェア駆動型のインフラにおいて、障害の早期検知、予測的なパフォーマンス管理、運用リソースの最適化をどのように実現しているのか、その最前線を議論します。
主なトピック
・ネットワーク運用チームにとって、実務レベルでのAIOpsが意味するもの
・
「事後対応」から「予測・予防型」の運用管理への転換
・障害検知とパフォーマンス最適化のための機械学習(Machine Learning)の活用
・現実世界のユースケースと、測定可能な運用の成果
・大規模なAIOps導入から得られた教訓
AIOpsとは何か
AIOpsとは、AI(人工知能)と機械学習をITおよびネットワークの運用管理に適用する手法の総称です。膨大なログ、アラーム、パフォーマンスデータをリアルタイムで処理・分析し、障害の予兆検知、根本原因の特定、対応の自動化といった機能を担います。従来の運用管理が「問題が起きてから対処する」という事後対応を基本としていたのに対し、AIOpsは「問題が顕在化する前に察知し、先手を打つ」という予測的なアプローチを可能にします。通信ネットワークのように規模が大きく、変動要因が複雑に絡み合う環境では特にその効果が大きく、近年急速に注目を集めている領域です。
最大の障壁は技術ではなく、組織にある
AIOps導入の最大の課題は何でしょうか。登壇者たちの見解は一致していました。テクノロジーではなく、組織と人間の側の問題だということです。ガバナンスの枠組み、明確な価値の定義、測定可能なアウトカム、各事業部門に根ざした当事者意識。これらが整っていなければ、どれほど精巧なAIプラットフォームも「積んで終わり」の投資になってしまいます。特に強調されたのが、「中央集権型AIチーム」の限界です。全社にAIを届けることを使命とする専門部隊をひとつ設けるアプローチは、実態として機能しにくいと各者は指摘します。代わりに有効とされるのが「ハブ・アンド・スポーク」モデルです。統治機能は中央に置きつつ、RAN・コア・OSS/BSSといった各ドメインにAIの実行チームを埋めこみ、現場チームが成果に責任を持つ構造です。AIが「他所から与えられるもの」ではなく、「自分たちが使い倒すもの」になって初めて、組織への定着が生まれるということでしょう。
データ戦略の核心:リアルタイムストリームと測定対象そのものの問い直し
予測型ネットワーク管理への移行が言葉の上では自明であっても、実践となれば話は別です。登壇者たちは、従来のMLOpsとAIOpsのデータ要件の違いを明確に区別しました。従来型は統計情報やアラームといった構造化された決定論的データを前提としていましたが、AIOpsはその上に非構造化データを重ねる必要があります。平文のログ、RAGで強化された知識ベース、過去の障害データベース、属人化した暗黙知。これらを「データレイクに溜めて後で分析する」発想では遅すぎます。データは発生源でリアルタイムにストリームとして処理されてこそ、初めてAIOpsの基盤たり得ると強調されました。中でも興味深いのが楽天シンフォニーの事例です。同社はネットワーク運用のデータ収集層を自前で構築する際、ベンダーが定義したKPI式やアラームの重要度分類をそのまま引き継がず、生の計測カウンターにまで立ち返りました。ラボ環境で設定された既成の指標ではなく、実際のネットワークからAI自身に指標を発見させたのです。結果として得られた「AIが定義したKPI式」は、従来の人間定義型メトリクスでは捉えられなかった相関関係と障害のシグネチャを浮かび上がらせました。「何を測るかを問い直す」こと自体がデータ戦略の核心になり得る。この示唆は、多くの事業者に響くものがあるのではないでしょうか。
カスタマーエクスペリエンスデータを、モデルの内側へ
パネルディスカッションを通じて繰り返し浮上したのが、「ネットワークデータだけでは不完全なモデル」というテーマです。技術的には正確でも、運用上の現実を反映していないAIモデルの危うさが語られました。典型が「サイレント障害」の問題です。監視しているKPIは全て正常を示しているのに、顧客はすでにサービス劣化を体験してしまう。そういう事態が実際に起きています。ネットワーク側に問題の痕跡が現れる前に、利用者がそれを先に検知してしまう構造です。この盲点を埋めるために必要なのが、顧客体験に関わるデータをMLモデルの入力として組みこむことだと登壇者たちは主張しました。NPSスコア、マーケティングシステムが保持する加入者向けデータ。これらは、運用ドメインの外にあるソフトな指標ではなく、ネットワークイベントとサービス影響の間に潜む見えない相関を暴くための重要な入力値です。オペレーターが当然と思っていた境界線が、ここに来て問い直されています。

自律的ネットワーク運用が本当に要求するもの
予測的インテリジェンスは、自律的なネットワーク運用への道筋においてあくまで通過点です。登壇者たちが強調したのは予測と行動を繋ぐオーケストレーション層の重要性でした。自動化と自律性の差は、フィードバックループにあります。自律的なネットワークは自らの判断結果から学習しますが、それを実現するには3つの要素が必要です。アクションオーケストレーションのための普遍的なAPI標準、あらゆるネットワークイベントがサービス全体に及ぼす影響範囲をマッピングする「因果オントロジーグラフ」、AIエージェントが判断ロジックを担う世界に合わせて再設計されたガードレール体系です。最後の点は特に示唆に富んでいます。人間のオペレーター向けに設計されたチェックリストは、AIエージェントが意思決定を担う環境には転用できません。人間の直感や状況判断を前提とした手順書と、AIの推論プロセスを前提としたガードレールは、根本的に異なるエンジニアリング問題だからです。「AIのためのガードレール」を一から設計するという課題が、業界全体に突きつけられています。
AIOpsの進化の多様性
MWCのこのセッションが示したのは、AIOpsの進化が技術領域だけの話ではないという現実です。組織設計、データ戦略の哲学、顧客体験データの統合、自律エージェント時代のガバナンスモデル。これらが一体として問われています。「後手から先手へ」というシンプルな言葉の裏側に、通信事業者が向き合うべき課題の複雑さと深さが凝縮されていると言えるでしょう。
私見と考察:AIOpsの今後のアプローチ
今回のパネルで最も印象的だったのは、楽天シンフォニーが「ベンダー定義のKPIを疑う」という姿勢から出発した点です。既成の指標を前提として精度を上げるのではなく、測定対象そのものを問い直すというアプローチは、AIの使い方として本質的だと感じます。多くの事業者がツールの選定や導入コストに議論を集中させる中、「何を測るか」の再定義から始めたことが、人間定義のKPIでは見えなかった障害の発見につながっています。もう一点、自律的ネットワーク運用における「AIのためのガードレール」という論点は、業界全体がまだ答えを持っていない問いです。人間を前提として設計されたプロセスをAIに移植しても機能しない、というのは直感的に理解できます。だとしたら、何を基準にガードレールを設計するのか。議論は始まったばかりです。予測精度の競争から一歩引いて、この問いに正面から向き合う事業者が、次のフェーズで差をつけることになるのではないでしょうか。
通信ネットワークの運用は、今まさに「ソフトウェアとしてのネットワーク」をどう管理するかという、未踏の領域へと踏み出しています。MWC26の議論が示したのは、AIOpsがもはや一部の先進的な試みではなく、ネットワーク運用のOSそのものを書き換える不可欠なプロセスであるという事実です。問題が起きてから動く、というこれまでの宿命から解き放たれ、AIと人間がそれぞれの強みを活かして先手を打つ。この実現には、テクノロジーへの習熟以上に、組織のあり方やデータの捉え方を根底から変える勇気が求められます。私たちが目撃しているのは、単なるツールの導入ではなく、通信事業という巨大なインフラが「インテリジェントな生命体」へと進化していく、その転換点なのかもしれません。
How AIOps Is Transforming Network Operations with Predictive Intelligence
